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生産と流通の有難さは…

20年近く昔に亡くなった明治生まれの祖母。彼女は、押し入れにたくさんの古布をストックしていました。「そんなの捨てて」と家族がどんなに説得しても、「ばさ(自分のこと)が死んだら好きに(捨てて)してくれ」と頑として聞かなかった。嫌だなと思っていたけれど、今は、祖母はきっと物資不足が身に染みていたんだ、と考え直している。
必要な物資がどこに行っても手に入らない…それがきっと、骨身にしみていたんだなと。
私も、幾分祖母の行動に影響を受けているよう。布地を粗末にするのは後ろめたい。洋服、簡単には捨てないです。もし明日着るものが買えなくなったら、との思いがよぎる。
どこまでが“不用品”かは、時代と世相によって変わります。今、世界的にもよく推奨される“断捨離”は、物がいつでも買える社会があってこそのもの。
以前、あるお洒落な著名人がインタビューで、洋服整理のコツを尋ねられたとき「シーズンが終われば持っている服は全部捨てる」と答えていた。確かに微妙に流行遅れになると箪笥のこやしになったりするもんな、お洒落な人なら当然かも…それにしても金持ち!と感じたものです。
でもでも、いくらお金があったって買えない事態、起こり得るんだ。それを私たち、少しばかり経験した。
東北大震災のときのトイレットペーパー、2年前のマスクや体温計…。布の手作りマスクが流行ったのって、たった2年足らず前のことなんだな。このときは、いずれ流通してくれるだろうという見込みがあったものの…。店の陳列棚に物がないのって、不安な気持ちになった。今はコロナによる部品不足で、家電、パソコン、スマホなどが、供給不足とか…もう解決してきているのかな? あらゆる物はすべて、生産者が活動できスムーズに流通することで、必要な人のもとへやってくる。
かつて中東で戦争が勃発したとき、原料になつめやしを使っているおたふくソースが、供給ピンチになったとか…そう、遠くで起こった戦争も思わぬ形で私たちの生活を直撃する。
物資不足の辛さ、私は身に染みてはわかってないです。けれど、恐ろしさの想像はできる。
それはきっと私たちの心の余裕を失わせる。社会全体を不安定にし、特異点を過ぎると一気に秩序の崩壊へなだれ込む。弱肉強食の世界。地獄。世界に不幸が連鎖していく。
地球上のあらゆる場所で起こっていることのすべては、私たちの生活に関係しています。
政治家や財界人は、誰でも経済危機には敏感なはず。たとえ人道に興味がなく儲け主義利己的であったとしてもそれでもいいから、とにかく国際社会を動かせる力のある人に結束してもらい、戦争は阻止してもらいたいと思う。

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