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すべての子供の幸せな子供時代のためにできること…ささやかだけど

誰だって、子供のときは、きちんと自分の気持ちを言語化できない。
社会生活ってめんどくさそう…って、幼い頃の自分は思ってた。保育所、小学校…。
争うってことが嫌で苦手でした。成長するにつれて、黙っていては相手が
つけあがりとんでもないことになるぞ、ときに強く主張することは必要と、わかってきて、だんだんと自己主張できるようになりましたが…。そして、自分なりに快適な居場所を社会の中につくっていく術を身に付け、今に至る。そういう人、大勢いるだろうな。
学校という集団は窮屈で苦痛だったけど、我が家は、中学校までは休むなら病院に行くほどのときのみ。そう簡単には休ませてはもらえなかった。今となっては…それは、自分にとってはよかったことって思う(もちろんこれは万人に有効な手段ではなく、あくまで私の場合は)。
学校の思い出…特に小学校時代は、あまり記憶がないほどいい思い出なし。嫌だったこと…納得できない先生の言動とか…は強烈に覚えていたりするけれど。それでも、日本語を不自由なく使えたり簡単な四則演算ができたり…それが難なくできるようになったのは、学校教育があったからこそ。基礎学力をつけられるということで、義務教育って素晴らしいと思う。それが、大人になってからの人生を大きく支える。
親はもちろん身内から、深い愛情を注がれていたことも、今だからこそわかる。周りの大人が自分のことを大好きでいていくくれることを、疑いなく信じていた…それって、すごく素敵なことだった。
30代の頃、幼子のいるお宅へ行ったとき。一緒に行った友人が、その家の幼子の遊び相手をしながら言った。「こんな風に、自分も、いろんな人から可愛がってもらっていたんだな、同じように、自分もしていくんだなって思う」
人は、自分が子供だった時代の多くのことの忘れてしまうけれど、ただ“子供”であるというだけで、多くの大人が気にかけてくれ優しくされて子供は成長していく。自分も、そんな存在の大人でいたいし、大人が、子供が安心して成長していける環境を守るのは当然のこととも思う。特別な大きなことはできなくても。
すべての子供が、のびのびと子供でいられますように。
幸せな子供時代を過ごすこと…子供だって社会で生きている限り嫌なことは絶対あるけれど、それを凌駕するほどの愛情を周りから感じてほしい。
安心できる子供時代の経験が人生にとっていかに大きいものか、年齢を重ねるほどに感じ入るのです。

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