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時世を恨むとこだった

6月4日 AM4:30
外はいよいよ梅雨らしい大雨の様子。
目覚めて1件の着信と、2件のLINEが入っていることに気づく。

婆ちゃんが亡くなりました
この時期なので、○○(地名)には来なくていいです
葬儀はおばちゃんとするので、そっちで送ってやって
又いろいろがおちついてからきてやって

祖母が亡くなった。昨日から容態が悪くなったようで、母が祖母のもとに行ったため、万一があるとは思っていた。身体の状態が良くなく最近はずっと病院にいた。90歳を越えているのだから、いつ何があってもおかしくはないと、漠然と感じてはいた。

「この時期なので」

ここ1年ちょっとで常套句になった。きっと自分だけじゃないだろう。「こんなご時世だから」「コロナだから」。こうやって何かを書くにも、誰かと話をするにも、何かあればすぐに出てくる枕詞だ。
来なくていいとは親が決めたのか、施設や自治体の何らかの決まりがあるのかは分からない。とは言え、自分を我慢させるために使ういつもの「この時期なので」とは明らかに違う。すんなり納得できる訳が無い。

そうは思いつつも、無理やり押し切って親や祖母のもとへ向かう訳にもいかない。いつものようにシャワーで目を覚まし、電車に乗ってオフィスへ向かう。いつも通りに仕事が始まる。こんな時に限って朝から忙しいのだから、いろんなことを考えずに済むような、むしろそんな暇すら与えてくれないような複雑な気持ちだ。

目が覚めた瞬間にあんな知らせを聞いたのに、その場に駆けつけることもできずただただ仕事をしている。何なら明日も普通に働こうとしている。
「この時期じゃなかったら」、すぐに手はずを整えて(今日は仕事をしたのかもしれないが)祖母のいる場所に向かっただろう。
「この時期なので」、簡単にそんなことができないのだ。我慢が大事なのは重々承知している。けれど今日ほどこの時期を、こんな時世を恨みそうになったことはない。

午後になって、またLINEが入ってきた。

明日は休み?
(中略)
来なくていいって言ったけど、お休みだったら送ってやれたらと思って

仕事を休むことにした。仕事のほうもギリギリだし、祖母のもとに向かうことにも「この時期なので」リスクがあることは重々承知している。でも、祖母に会える本当に最後の機会だ。もちろん最大限の準備やケアをしながら、祖母を送り出そうと思う。

今の状況に我慢をせずに、行きたいところがあればどんどん行ったら良いと言いたいのではない。これまで自虐のようにも使ってきた「このご時世」は、大事な人生のセレモニーですら、参加を困難にさせてしまうものなのだ。初めてその辛さを知った気がする。

6月4日 19:00
空は雲が多いながら晴れていて、梅雨に似つかわしくない大きな夕焼けが沈んでいく。
明日の予定が決まった帰り道。朝に感じていた恨めしさはなくなって、少し気持ちが落ち着いていた。

もちろん「この時期なので」、いろんなことに気を配る。その上で、祖母にしっかりと会って来ようと思う。

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