「精一杯」の容量を増やす。

こどもの頃から。
働いて、自分の稼ぎでごはんを食べられるようになりたい。
自分の稼ぎでごはんを食べられることは、自由になることだ、と思っていた。

今、それは間違いでもないけど正しくもない、と思うけれど(自由になるために、稼ぐことが必須ではないと考える)。
こどもの頃願ったように、働けて、自分の稼ぎでごはんを食べられている。
そして、働くことで、少しだけれど、誰かの役に立てていると感じられて。
そう実感しながら働くことで、自分も支えられている。
そのことを有り難く思っている。

有難く思うし、仕事は大事だと考えているから。
仕事は、自分の「精一杯」で取り組みたいと思っているし。
自分の「精一杯」の容量を、少しでも増やしたいと思っている。
その気持ちは、働き始めてからずっと変わらない。

働き始めた20代の頃は、仕事に関わる資格の勉強に取り組んだ。
学生時代の勉強と比べて、学んだ知識や技術が、すぐに使えて、役立つのが嬉しくて、楽しくて。学ぶっておもしろい!と、新鮮だった。
資格を取ったことで、新たな経験をさせてもらったり。
学んだことで、新たな情報や知識を得やすくなって、またそれを仕事に活かせたり。
自分の「精一杯」が広がっていく感覚は、私をわくわくさせてくれた。

でも、仕事を大事と思うことや、仕事のために頑張ったり、学んだりすることは、同僚からは「真面目だね~」「偉いね~」と、ほんのり否定的な反応を受けることが多かった。
自分の気持ちや頑張りは、あんまり良いものじゃないのかな?人に見せない方が良いのかな?と。
わくわくする気持ちには、曖昧な後ろめたさが伴っていて、あまり人には話せなかった。

数年前、思いがけず、学生時代からの友人でもない、仕事関係でもない、そんな集まりに加えてもらうことになった。
「えいっ!」と、清水の舞台から飛び降りる覚悟で扉を開けた。
開けた扉の向こうには、当たり前のように学んで、努力して。
試行錯誤し、悩みながら、学ぶこと、努力することを、とても大事にしている人がたくさんいた。
そのポジティブさに、びっくりした。
新たな出会いは、学ぶことや努力することへの曖昧な後ろめたさを払拭してくれた。
そして、そのまた次の扉を開こうとする力や、学びや努力をオープンにすることの大事さを教えてくれた。

この春から、とある資格(仕事関係)の受験資格を取るため、通信の専門学校に通うことにした。
「働きながら、課題こなせるかな?」「記憶力も落ちてるし、試験大丈夫かな?」と、やらない理由もたくさん思いついて、周りの方にも話してみた。
みんな「それは良い!」と、さりげなく、何気なく、なんでもないことのように、背中を押してくれた。
なんだかとても嬉しくて、自分の「精一杯」が広がっていく、わくわくした気持ちを思い出した。

自分の「精一杯」の容量を少しでも増やして、少しだけでも、今より誰かのお役に立てる自分になれるように。
学んで、努力する。そんな一年にできますように。
決意を記すことで、学びと努力が実を結びますように、と願って。