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#4 「追い詰める」は絶対の方程式か?

めんどくさいの哲学 #4

 『「めんどくさい」がなくなる脳』という本の著者である加藤俊徳博士は、めんどくさいは脳に余裕があるときに生じるとおっしゃっています。また博士は、あるインタビューで、脳の余裕をなくす実験というのを紹介しています。何かがめんどくさいときに、目をつぶって片足立ちをしながら声を出して30数えるとあら不思議、めんどくさい気持ちが消えるというのです。どういうしくみかというと、目をつぶって片足立ちでバランスをとり30数えるというのは、脳のいろんな部位をフル活動することになって余裕がなくなる。するとめんどくさいがなくなる、というわけです。ぼくもやってみたところ、正直よくはわからなかったのですが、少し頭がすっきりする気がしました。したかな? まあ、そういうことがあるらしい。で、要するに人は、脳のほんの一部の部位を使ってるんだけど、何か新しいことを考えるには、ふだん使ってない部位の神経細胞まで動員しなくちゃならない。この使ってない神経細胞――まあ余裕の部位ってのをひっぱりだすことがめんどくさい、ということらしいのです。ここで重要なのは、加藤博士の言う余裕というのは、心の余裕ではなくて、脳の余裕ということ。人はよく、追い詰めて心の余裕をなくすことで人を奮い立たせようとする。これはうまくいくこともあるだろうが、うまくいかないこともあるではないでしょうか。

 ぼくは昭和の時代に、編集ライターという仕事に就きました。それはいわゆる「出版業界」というもので、そこには徒弟制度的な空気が立ち込めていました。上司は日常的に部下を追い詰め、その瞬発力を培おうとしていました。今となってはハラスメントの一言でアウトですが、当時は上司の方も部下の方もある程度の信頼関係が成り立っていたので、それはただのハラスメントとは違う作用があったように思います。
 象徴的なエピソードがあります。Kさんという人が原稿を書き上げて上司のところに持っていったのですが、あろうことか上司は、原稿を読みもせずに破ってゴミ箱に捨てたのです。当時はまだワープロもなく、手書きの原稿だったので、Kさんはそれを一から書き直して持っていくと、今度は読んでくれてオーケーが出た。上司の言い分はこうです。「目を見れば原稿に自信があるかどうかわかる。そして原稿をやぶかれて『なにくそ』と書き直した原稿の方が、よくなるに決まっている」。やぶかれた人も「あんときは、ひでーことするなと思ったけど、さすがHさん(上司の名前)、ちょっと無茶だけど正しい指導だった」という認識です。これは、追い詰めればいい結果が生まれるという方程式の、純度の高い実例です。

 でもこれは、絶対的な方程式なのでしょうか。たまたまKさんは負けん気の強い人だったので、瞬発力を発揮していい結果になったかもしれない。だけど、そういう人ばかりでもないでしょう。もちろんHさんは、Kさんの性格を読んだ上でやったのかもしれませんが、当時は、そのくらいの負けん気をもった人でなければ、この仕事には向かないと言いきってしまうような、業界の雰囲気がありました。それについていけず、辞めた人もいたと思います。その人たちの中に、いい原稿を書ける人は、ほんとうにいなかったのでしょうか?

 ぼくもこうした昭和の方程式の中で仕事をしてきました。追い詰められたときは、どきどきしながら、深夜になってもひーひー言いながら机に向かい、なんとかめんどくさい仕事を乗り越えてきた。でも、追い詰められるといいアイディアが出るという考え方には、もろ手をあげて賛成! とは言いがたい。なにしろ追い詰められると、頭が堅くなってうまく回らなくなるような気がするのです。その結果ぼくの場合、問題を解決する技術より、問題をうっちゃる技術を磨いてきたのではなかったか? 追い詰められればいいものが出る。こともあるけど出ないこともある。ということなのでは?

 このめんどくさいの哲学では、追い詰める以外の方法で、めんどくさいに対処する方法を考えたい。そのためには、昭和時代の方程式(追い詰めればいい結果が生まれる)のような「常識」を、「とらわれない目」で考えていきたいと思います。

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