4月15日の日記 環境が頭を変える説

10月が半ばに差し掛かったことに驚きを禁じえません。
今日の日記は、珍しく「すぎ山食堂・朝営業」で話したことです。
(すぎ山食堂を知らない人は、こちらをまずは)


友達に「私も最近頭が使えなくなった」と言われて「おい俺の頭のポンコツぶり舐めんなよ、大怪我だぞ」と思ったところから始まります。

4月15日の日記 環境が頭を変える説

付き合いの長い友達のすみれが朝のすぎ山食堂で、「私も最近頭が使えなくなった」と言い始めた。

自堕落に生きるようになり、夜の仕事で10分ずつ代わる代わる男性客と話していると、新たに得意になることもあれば、失ってしまうこともある。
頭を使うのが好きな人たちとつるんでいた大学の頃とは変わってきたらしい。
多分戻すにはある意味リハビリが必要だろう。だろう。

会社で活躍しているみきのえは、元々プラス思考な子だったけど磨きが掛かっている。嘘ではなく、すぐ「いいねそれ!」と反応してくる
人材コンサル的な会社で働いていて、社風による職業病らしい。

これはいい職業病だけど、場合によっては職業病も抜こうと思ったらリハビリが必要だろう。


俺の頭が悪くなったのも、似たような話だとすみれは言う。
「能力は環境によって左右されるもの。自分ができるからできると言うよりは、環境がそうさせるからできる、ってことじゃない?」

怪我のせいは怪我のせいだけれど、病院の中では最初はほとんど目を覚まさなかった。
頭は緊急状態からの復旧に全力だったんだろうから、いつもの頭の働かせかたをできるわけがない。
その時期が、かなり長かった。

そんな「あらゆる思考が久しぶり状態」が、継続中の脳の回復作業と輪をかけて、いつもの杉山大樹を阻害した。
阻害というのは頑張っていた体と頭に失礼か。


だんだん自分で考えられることが増えても、自分のことばっかり考えていればよかった。
こんな目に遭っている悲しみをゆっくりゆっくり消化しながら、ただ早く戻りたいと焦った。

申し訳ないことをした人や俺を必要としてくれていたはずの人を思い浮かべたけれど、連絡するのは億劫だった。と言うかスマホを打てなかった。使い方が分からなかった。

そんな自分のことをずっと考えていた。
これから一体どうなるのか。また仕事ができるんだろうか。使い物になるんだろうか。
テレビを自由に見てよかったけれど、全然興味が持てなかった。
思考の邪魔だった。


リハビリ病院に移って、日々変化していく自分の頭と体が面白かった。発見ばかりだった。
今これが苦手だけれど、こうしたらもっとうまく行くのでは? 昨日と違って、自分はこうなっているのでは?

映画も見たけれど、やはり今の自分に投影した。今だからこそ面白いと思える作品もあった。


体がほとんど回復して、退院して、実家に1週間戻ってから、ようやく下宿に帰って、自由になった。

頭の回転の遅さと使える時間の短さから、可処分時間がすごく減ってしまったと思っていたが、減った理由はそれだけじゃない。

「自分の中を探る時間」が今も長いからだ。
特にこの日記がそうだ。
日記なんて書いたことがなかったけれど、忙しくても繰り越して書いている。

元々の俺が考えていたのは、ほとんど俺だけのことではなくて、仕事のことだった。
仕事と趣味の境界がないフリーランスだが、要はすべきことと、次にしたいことを考えていた。
それが得意な頭だったし、それが好きだった。


環境が今の頭を作っている。きっとそれは本当のことなんだろう。
そして環境を戻した今、段々と元の自分が戻ってくると信じたい。そして戻さない方がいい部分もあるはずだから、取捨選択したい。

特に戻したいと思うのは、素早いツッコミの力だ。
毎週深夜の奔走20代でも痛感している。
「どんなボケが来たって拾うから、好きに暴れろ!」と自信を持って言える頭を戻したい。

それはファシリテーションでも本当に必要だった能力だし、取材して記事を編集するところでも欠かせない。

夜に食堂に来てくれた山田が提案してくれた、ツッコミ復元用:ボケの100本ノックツアー」を実行すべきかもしれないな。

変化するためには環境から変えるのだ。

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ツッコミ復元用:ボケの100本ノックツアー」はこれまでに2度開催され、おかげさまで僕のツッコミは回復しました。
その当日の話はまたいつかの日記で。

さて、その回復したツッコミを使うのが…

もはや恒例の宣伝タイムですが、
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