魂について書こうと思ったが日を改めることにした誕生日

大学の教員になって1ヶ月とちょっとが経過した.自分の研究室もいただけて,研究活動は順調.授業準備はぼちぼち.ただ今日,不穏なメールが届いて,仕事が増えそうな予感.全体に向けてのメールだったけど,いや,これ明らかに俺が入れられそうな仕事じゃん?と思ったり.大学の仕事って,こうやって増えていくんだな.

実は今日は俺の誕生日でもある.義母から祝いのLINEが届いて,「31歳が最高の歳になったので,32歳も最高になるよう頑張ります!」と返信.そう,31歳では第一子が生まれ(しかも世界一かわいい),博士号を取得し,大学の職も手に入れるなど,結果的にはあまりにも順調だった.その中では,博士を今年度中に取って就職しないとうちの家計は崩壊するという,めちゃやばなプレッシャーと闘っていたりしたわけで,正直大変だったという感想しかない.しかし,思い返せば順調だった.

さて,なんでこんなnoteを書き始めたかって,31歳が順調だったからなんだよね.31歳のゴールに向けて,1~2月の博論審査,1~3月のアカデミアでの就職活動がうまくいったのが,31歳を最高にしてくれたひとつの要因なんだけれども,その時期に実はキリスト教の福音教会通っていたの.で,通い始めてから,本当に全てが順調にいった.だって8月から始めた大学の公募なんて,8~12月は全落ちだったのに,教会に通い始めたら書類も面接も全部通った.もちろん大学側も人を採用しないと業務的にやばいわけで,お互いにハードルを下げていたための結果かもしれない.当然こんなn=1の経験で,お祈りは素晴らしい,お祈りをするとすべてが上手くいく,なんて思わないよ,俺は自称統計学者だから.まあでも,教会に通ってうまくいってる時期は,なんだか不思議な気分だったよね.なんか,そういう力ってほんまにあるんかな,って.だからサウナに行って外気浴してるときは,いつもとりあえず祈ってる.神様いつもありがとう,って.

ここからが本題で,「魂」ってあるんじゃないかなってこと.教会に通ってると,魂について考えずにはいられなくなって,そのことが常に頭にあった.大変な時期だったのに何してんねんって感じやけど,考えちゃったんだから仕方がない.とりあえず,魂がなぜあると思えるのかの根拠を説明しようとこのnoteにログインしたわけだけど,思いの外時間がないので,魂については日を改めることにする.おい,なんやねんって感じよね.あなたの時間を奪って申し訳ない.が,こんなしょうもない記事を読んで,ちょっとはリフレッシュできたんじゃない?ノー?それはすまんかった.


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