カップラーメンminiの存在意義がわかった

僕にとってのラーメン1人前

ラーメンは小学生の時から食べるようになったのだが、当時僕の中で、お汁まで全部飲み干せてこそ、大人への一歩と考えていた。

家では、袋麺を食べることがほとんどであったが、初めて完食できたときの喜びは今でも、なんとなく覚えている。(そこは、はっきりと覚えている、じゃないのかよ。)

1人前になれて感じた、疑問

袋麺の完食が完全にできるようになったときに、ある疑問が湧いた。それはカップ麺のミニサイズの存在意義だ。

小学生時代に普通サイズを完食できるようになった自分にとって、ミニサイズがなぜあるのか、その理由がわからなかった。普通サイズですら、小学生で完食できてしまうボリュームなのに、なぜこうも堂々と幅を効かせて、たくさん販売されているのか分からなかった。miniサイズで満腹になる人なんているんだろうか、と。

そうゆうことだったのか!!

それから、月日は流れ社会人になって突然、この疑問は解決へと導かれた。

コンビニ弁当やスーパーの弁当のお供として、カップラーメンminiを買っている人を見たとき、すべての疑問が晴れた。

サイドメニューだったんだ・・・

今まで、僕はラーメンをメインディッシュとしか捉えていなかった。しかしここで見た光景は、ラーメンを味噌汁的な、決してメインではなくサブとして扱う光景だったのだ。

そうか、そうゆうことだったんだ。

こうして、十数年越しの疑問は、見事に解決されたのであった。

ここで得た教訓

何事も色んな角度から物事を見なければ本質は見えないということ。

ありがとう、カップラーメンmini。今では、たまにお弁当のお供でお世話になってますよ。


けーさん


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