ゆめのなかで

いつだって少し先の未来を想像できたから、呼吸を止めずに歩いてこられた。

中学生の頃、一学年に数十人しか居ない"地元の子"達とは温度感が合わず、同レベルの大勢と過ごせる高校へ行くことだけを救いに生きた。
高校生の頃、どうしても家から逃げたくて、溢れる好奇心も抑えきれず、東京の大学進学に向けて必死に勉強した。
新入社員の頃、別の部署に行けば変わると信じて、残業80時間と先輩のパワハラに耐えた。

いまも住んでいる場所や担当業務の総てに満足している訳ではないけれど、それなりに自分が選び取って/或いは選ばれている自覚と自信が多少なりともあるし、所変われば…とある種の諦めがついている所もある。全国転勤の総合職でいつまで居続けるのかは悩ましいけれど。

思うように上手くいかなくても、状況が変われば、と自身を宥められるのは特技かも知れない。
たとえば仕事してる時の自分を嫌いになっても、学生時代や趣味のコミュニティの其々に居る自分の属性は少しずつ違っていて、何処かに居る自分を好きでいられたら、それで良いと思っている。

・「言ってみたら叶っちゃったシリーズ」は必ず自らがアクションを起こす
・想像できるなら実現できる

この2点が私の行動原理。
想像できる=具体的に描けているという事なので、ディテールが最終変わったとしても、満足いく形で着地してきたのが殆ど。

そしてただ口にするだけでなく、自分ができることをプレゼンしながら一生懸命お願いの突撃をする(笑)ただ、これは人に恵まれてる運の良さが多分にあり…直近でお願い申し上げたのがたまたま良い方々ばかりで。プロデューサーも監督も役者さんも記者さんも。数打ってれば当たらないものもあるけど、叶えさせてもらってる引きの強さだけは誇らしく思っている。

たとえば「○○の役こないかな〜」って言った後にドラマでその役が来ても、それはただの「ラッキー」なだけで「言ってみたら叶っちゃった」訳ではないと自分の中で明確な区別があって。自分が及ぼしてないというか、時に辛い思いもしながら行動して実現したものを初めて「シリーズ」に数えて良いことにしている。
鋼の錬金術師世代なので「等価交換」がベースにあるのだと思う。笑

こんなふうに、
いつだって少し先の未来を想像できるから、ゆめのなかで漂い続けているのかも知れない。
叶えたい夢が沢山あるし、賞味期限が切れれば新たな夢を抱き始める。
「やりたい」と思えてるうちに着手するのが成功への近道で、そうできるほどの余裕をもって息をしていたいと願う日々。

唯一の嫌いなゆめは、夢オチ。笑

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