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5 変わるきっかけ 〜外側から〜

前回の 変わるきっかけ〜内側から〜では、
読み直すと当たり前のことを偉そうに書いてしまったなーと思い、投稿して恥ずかしくなりました。
ただ、大人を20年も続けていると、心が動くようなことが減ってしまうし、心を動かさないようにしないとやってられないことも多くなると思います。
とすると、心が動いて、新しいチャレンジをし、試行錯誤できている(しようとしている)なんて、なかなかじゃん!なんて、自分をほめたくなりました。
教師という仕事はマルチタスクということを、以前書きました。マルチでいくには、立ち止まっていられないのが現実で、かなりショックな、信じられないことが起こっても、振り回されないようにしないと、心がもちません。
わたしは、特に心のアンテナの感度がよく、「気づいてしまう」ので、時にアンテナのスイッチを切るか、感度を意識して下げることにしています。でも、スイッチが入りにくくならないよう、インプットは大切にしたいと思っています。

前回のことから話題がそれてしまいました…
本題にいきましょう!

外側からの「変わるきっかけ」

ズバリ!
当時、「研究主任として受けた研究指定校のお題が難題すぎた」ということ!
この一文には3つのポイントが含まれている。

①研究主任として
②研究指定校
③難題すぎるお題

①研究主任として


その前年度から研究主任として働いていた。別に自分の専門教科でもなく、指定を受けた内容も未知。研究主任として校内でだれよりも、そのお題について理解しよう、と考えた。
参考資料があっただが、一読では理解できず、3回以上読み直し、レポートにまとめ(自分用)、プレゼン資料を作り(自分用・研修用)、研修を企画した。
その時の気持ちは、
「くそー!こんな大変なことできるかー!!分かるかー!」
「でも、分かってやる!」
「ただし、ちゃんと納得できるところとそうでないところを見つけてみせる!」
という、よく分からない感情がうずまいたものだった。

資料を読むだけでなく、
先行実践の研修を受けたり、飛び込みで授業を見に行ったり、
だれかの司令を受けて動くのでなく、自ら動きまく った。


②研究指定校

在籍する区市町村の教育委員会から指定を受けた。ということは、研究発表会というまとめがあり、報告する必要がある。
とにかく、よくわからないんだけど、スタートからそのまとめがあることが決まっていたことが、よいきっかけだったと思う。
やはり、しっかり理解して実践しないとアウトプットはできないもの。


③難題すぎるお題


「くそー!!」の源が、よくわからないということ。
お題を出す側への怒りに似た感情と、理解し難い自分側にむけた悔しさのようなものがガソリンとなり、まさに難問を解くように燃えていた感じだった。
また、理解したところで一人では意味がない。研究発表は学校が受けたのだから、周りを巻き込みまくることに。
理解者を増やすというより、一緒に悩む・考える人を作っていく感じだった。

ただし、誰かが答えをもっているわけではない。
あるとしても、それは〈実践者✕子どもたち✕エトセトラ…〉によって違って当たり前なのだから、
自分たちの感覚と、目の前の子どもたちを信じて積み上げていった。


おまけ・どうせやるなら楽しもう


「研究指定校=大変」
というイメージをもたれることが多い。対教師は特に。
ただ、わたしは研究主任として「どうせやるなら楽しく」「納得のいく、苦しくない研究」を心に決めていた。これは、研究指定校じゃなくても同じことかもしれない。
完璧にはなし得ないことだったかもしれないけれど、当時、発表直前にある先生から「こんな発表直前に、研究のことを先生たちが楽しく話す学校は初めて」という言葉は忘れられない。

まとめ

外側からのきっかけは、受け身になりやすい。
でも、子どもを主役にしようとしていて、受け身にさせない!って思っているのだから、
教師も受け身にならない。

大変そうなこと、つまらなそうなことを
クソがつく忙しさの中で、どれだけ面白がり、楽しめるか。
というマインドで、外側からのけっかけを受け止め、心を動かし燃やした。

これが、外側からの変わるきっかけであり、
外側からのきっかけを使って「変わる」ということだと考える。