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写真の理由#2 賑わい前の

noteに写真をのせるときはTwitter/Xにポストしたものをさらに詰めて編集します。今回は画面下の水面にたくさんいたアメンボに隠れてもらいました。
それがこちら。


「賑わい前の」

ストーリー

あとでわかったことなのだけど、やたら多い人出のほとんどは、日没後、家族や恋人と提灯の灯った舟に乗って、ゆらゆらと過ごしたり、そこらに点々と置かれているろうそくが、足元を朧に照らす中をひそひそ声で歩いたり、そういうことをするのが目当てらしかった。
それで舟貸しにとって、この日没前の中途半端な時間というのは、客もまばらで、かと言って日が沈めば途端に慌ただしくなるので、すっかり空けてしまうこともできない、そういう、自分をどうすればいいのかわからない時間なんだろうと思った。
空けてしまってよいのであれば、昼ほどは暑くないにしても、わざわざそこだけ西陽が差している場所で休むこともないだろうと。
そういう舟貸しに、何の目当てもなく、ただ歩いていてそこに行きついただけで、たくさんの人の中でどういうふうに振舞えばいいのかよくわからないでいる自分を重ねつつ、お前がこの所在なさを味わうのは西陽が沈んでしまうまでのほんのいっときなのだろうと、そういう羨望の写真。

タイトルについて

昨日たまたま、戦争に翻弄されたアナウンサーのドキュメンタリードラマを見ました。主演は森田剛でした。
そのラストは、あえてセリフを完成させないことで視聴者の恐怖を極大化する、という驚愕の演出でした。そこでこれを真似て、「賑わい前のXXX」という未完成のタイトルをつけてみました。
この写真を見た人のなかで、賑わい前の"静けさ"、賑わい前の"浮見堂"、賑わい前の"わくわく"と、こんなふうに何通りものタイトルが完成する、そういう写真になっていたら嬉しいです。

ちなみに撮影の設定とか編集とかについては書くのを避けてるわけではなくて、普通に書くのを忘れていただけなので、コメントいただければそういう会話もしたいです。

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