その時は重要だったもの、その蓄積
昨年末、多拠点生活をしている中で出会った人に写真を見てもらった時のこと。その人に「写真を利用するために撮っているものじゃない、今自分が何をしているか確認するために写真を撮っているように見える」ということを言われたのを思い出してた。
その時は「ふーん」という気持ちと、なんとなく言わんとすることはわかるかも…と思ったけれど、最近その傾向がものすごく自分の写真に出ているなと感じることがある。僕は、僕の目で見ている景色を残したいと思っているような気がするからだ。
それは100%正しく現実を写し取るものではないかも知れない。時には加工がガッツリ乗ることもあるかも知れない。ピンボケしてたり、何を撮っているかわからなかったり、そもそも写真じゃないかもしれない。とにかく、その場で感じた気持ちを残しておいて、あとで振り返ったり、道を外れそうな時に軌道修正するためのもの、そういうニュアンスがどんどん強まっている気がしてならない。
それは多分、これから先ちょっと軌道修正したくなることが多くなりそうだからというのが一番の理由かな。あと、今が本当に大好きだから、その時の空気感みたいなものを残しておきたいのかな、って。
「その時は重要だったもの、その蓄積」
これも同じ人に言われた言葉。
ノスタルジーに浸りたいだけなのかもしれない、けど決してそれだけではない気がしている。その時にしか見えないもの、感じられないこと。その時はそれをどう扱ったらいいかわからないもの。それを形にできたらいいのかな。蓄積はある意味歴史だな。
動かなきゃなんにもわからないのは真実なので。できることをやってみるしかないんだけれど。
そんなことを考えながら、ピンときた時に今日もシャッターを押しています。
続く?
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