“未来”のわたしのために
中学生のとき「いじめ」にあって、心に大きな傷を負った
その時に感じた
「先生への不信感」は
ずっと心の中に残っていた
毎日いろんなことをされた
“無視”はあたりまえ
“靴”のいたずらは毎日
「給食」へのいたずらは
“いたずら”を超えていた
お味噌汁を飲み干したら
器の底に“ハエ”が沈んでた
あまりの恐怖に震えたわ
ご飯に白い“チョークの粉”がかけられていたり
パンには“鉛筆でたくさんの穴”をあけられた
こんなことは日常茶飯事
決定的だったのは
「女の子の日」のものが
全部開かれて、机やイスに貼られていたこと
“◯ね!”“◯えろ!”と書いてあった
あまりにもショックで泣くことも出来ず、黙って片付けていたらクラス中が笑ってた。
恥ずかしくて、恐ろしくて自分の心がビリビリと
破けていく音を初めて聞いた
この出来事を機に、
わたしは学校での“喜怒哀楽”を全て捨てたんだ
「先生に言わなかったのか」って…?
言うわけないじゃない
何ならとっくに先生は知っていたと思うよ
でも“見ているだけ”だった
“見て見ぬふり”ではなく
“見ているだけ…”
学校を休むという選択肢も
あの頃はあまりなかったように思う
それからは先生に対しての“喜怒哀楽”も全て捨てた
こんな毎日は2年以上続いたわ
この経験はわたしの人生において、長い間影響し続けた
それ以降、いじめに合うことはなかったけれど
いつもどこかでビクビクしてた
それでもその後の素敵な出会いの中で
「笑顔」という“魔法”が
壊れてしまった心の欠片を
キレイに治してくれたんだ
その頃短大で一応教員免許の単位を取得したけれど
それでも全く教員になんてなるつもりはなかったのよ
教育実習のために母校を訪れたとき
思いがけず生徒たちは可愛くてキラキラしていた💖
この教育実習をきっかけに
“大嫌いだった先生”を目指して本気で勉強するようになった
そして何とか運良く合格
それから30年以上
“先生として”生きてきた
人生って何がどうなるかなんてわからないよね
まさか自分が大嫌いだった
“先生”になるなんて…
もっと言えば
あの3年間の経験が
私の教員生活の力になったなんてね
人生における経験は必ず
過去→現在→未来に
つながっているのよね
“今日の自分が明日の自分になっていく”
自分の人生は誰のものでもないからね
「これからの未来」なんてわからない
だから「今日」を大切に
わたしはこれからも生きていく