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バリバリの犬派があっという間に猫派になった瞬間

実は、私は、ずっと猫が苦手であった。何が苦手かというと、あの眼がものすごく苦手で、「猫=怖い」印象しかなかった。それが、今や猫のためにせっせと働いて、高いキャットフードを買っているのだから人生というのは不思議なものだ。

まず、紹介がてら、時系列で我が家の猫たちの話をしていこうと思う。

初めての猫、にゃーち (オス・享年5才)

私は、生まれも育ちも大阪で、家が商売をしていたので、子供の頃からほとんど旅行にも行ったことがないし、引越しも歩いていける距離で1回したぐらいで、ほぼ関西圏から出たことがなかったのだが、ある時期に、いろんなことが重なり、何かに導かれるように、今の場所に住むことになった。今から思うと猫が私を呼んでいたのかも知れない。

ここは、大阪と違って、冬になると雪が積もる。名前の通り、晴れの日が少なく、だいたいどんよりしている。だからかわからないが、我慢強く、おとなしい人が多い印象がある。

とにかく、ここで私の知っている人は、旦那とその両親だけで、来た当初は、孤独とはこういうことを言うんだなとしみじみ思う毎日であった。当時は、失業手当をもらっていたので、仕事をしておらず、周りの人は、やたら忙しそうに毎日働いていたので、そういう意味でも一人ポツンと取り残されたような気分だったことを覚えている。

そんな毎日に、にゃーちが現れた。旦那が猫好きで、時々現れる白黒猫に食べ物をやっていたのだ。しかし、彼は、仕事の都合で、当時2日に1回ぐらいしか家に帰ってこれなかったため、「何か食べ物をやって」と言い残して、また仕事に出かけていったのだ。

今だったら猫用のちゃんとしたキャットフードをあげるだろう。しかし、当時は、猫のことを全く知らなかったので、ご飯を作った時に余った鶏肉とか魚をあげていた。さすがに味がついているものはダメだろうと思ったので、いつしか味付けをする前に、猫の分を分けておくようになった。

にゃーちは、白黒で、毛が長めの猫だった。洋猫の血が入っていたのかも知れない。まだ1才になったばっかりぐらいの若い猫だった。目がグリーンで、その中に自分が写っているのが不思議な気がした。しかし、生まれた時からノラ生活だったのか、親がノラだったのか、何か怖い目に合わされたのか、全く人間を信用していない顔をして、人が離れてから餌を食べた。近づくと威嚇した。

当時、私は、バリバリの犬派で、猫は超苦手だったので、最初は嫌々食べ物をあげていたのだが、そのうち、にゃーちが家に来る回数が増え、毎日くるようになると、ジャガイモやサツマイモを蒸したのとか、ささみとか色々バリエーションを変えてあげるようになった。他にやることもなかったので、にゃーちとの距離を縮めることが毎日の仕事になった。

にゃーちが初めて、私にすり寄ってきた日のことは今でも覚えている。猫に慣れていない私は、そうされても、なでることができなかった。ただ、びっくりして固まったままの私に、にゃーちは何度かスリスリして、ダメだこりゃと思ったのか、どこかに去っていった。帰ってきた旦那に報告すると、そういう時はなでてやればいいんだよと言われ、そうか、じゃあ明日はなでてみようと、にゃーちが来るのをドキドキして待っていた。

その頃になると、にゃーちは大体同じ時間にやってきた。ご飯をあげるとまた同じように擦り寄ってきた。今まで散々威嚇していたのに、全く私のことを疑いなく、自信満々にすり寄ってくる。

手を出した途端に噛まれやしないかと恐る恐る手を差し出してなでてみると、一瞬にゃーちもピクッとして、さらに擦り寄ってきた。その瞬間の嬉しさは、今までこんなに嬉しいと思ったことがあっただろうかと思ったほどの衝撃的な破壊力を持った嬉しさだった。

それからは、ずっとにゃーちと一緒だった。にゃーちは、膝に乗るようになった。だいぶ成長して大きくなり、毎日キャットフードを食べるようになると、少し太って、毛がちょっと長めということもあり、膝からはみ出しそうであったが、とにかく私を見ると膝に乗りたがった。

ノラ猫の平均寿命は5年といわれている。ノラの子供が成長して生猫になれる確率も低いが、にゃーちは、運良く、大人になった。しかし、すこぶる喧嘩が弱く、当時は、周りに強そうなノラ猫がたくさんいて、いつも追いかけられていた。そんな姿に気をもんだ私と旦那は、家にいる時は、いつもにゃーちのそばで、近所のノラ猫たちを追い払っていた。

そのうち、にゃーちをいつも追いかけていた白い大きな猫がいなくなった。最後に見かけた時は、ものすごく痩せていた。嫌な予感がした。にゃーちの首に傷があったからだ。今ならば、迷いなく、ワクチン接種をするだろう。当時は、全くそういった知識がなく、動物病院にも行ったことがなかったので、どうやって連れて行けばいいかさえわからなかった。

なかなか傷が治らないので、さすがに病院に連れて行こうとしたが、恐ろしく暴れて、キャリーから逃げ出したりしたので、結局連れて行けたのは、あんなにふっくらしていたにゃーちがどんどん痩せて、力がなくなってからだった。知識は力だ。何度も言うが、今だったら保護したらすぐ動物病院に行って、ワクチン注射とノミダニ予防の薬をしてもらうのに。今、あの頃の自分を思い出すと引っ叩きたくなる。猫を飼うという責任を全然果たせてなかった。

10月になり、にゃーちは、ガリガリに痩せて、寝床でジッとしていることが多くなった。これから寒くなるのに、これでは、冬を越せないと思い、ついに家の中に入れることにした。

これまでも何度か家に入れようとしたが、やはり生粋のずっと外で育ってきた猫なので、家の中は恐怖でしかなく、ずっと鳴いて大暴れし、猫慣れしていない私は、そのたびに挫折したが、この頃は、もう抵抗する力もなく、おとなしく家の中で過ごしていた。

にゃーちは、猫エイズと白血病のダブルキャリアだったので、あっという間に恐ろしいぐらいに痩せて、骨と皮だけになり、何も食べなくなった。焦った私は、美味しそうな猫缶を値段関係なくネットで幾つも取り寄せては、にゃーちの前に置いてみたが、一口か二口食べればいい方だった。

そんな体になっても、にゃーちは外に出たがったので、暖かい日を選んで、抱っこして連れ出した。外に出ると、自分で歩くと言うので、地面に下ろすと、以前は軽々飛び越えていた段差を前に全く飛び上がれない自分にショックを受けていた姿を思い出す。

涙をこらえながら、抱っこして暖かいビニールハウスの中に座らせると、満足そうにゴロゴロ言って、辺りの匂いを愛おしそうに嗅いでいた。木や草の懐かしい匂い、かつての自分がいた世界。最後の時が近づいているとわかっているような表情。動物は、驚くほど、死をまっすぐに受け入れる。人間はそうはいかない。自分が死ぬとわかった時、こんな風に穏やかな顔をできるだろうかと思った。人間は、自分たちを生物の中で一番高等な生き物だと思っている節があるが、動物はこんなにもいろんな事を教えてくれるのだ。

それから何日かしてにゃーちは空へ帰っていった。5歳になったばかりだった。私たちがもっとちゃんとケアしてあげていれば間違いなくもっと生きることができた。家の中で穏やかな老後を送れたかも知れない。楽しいこともあったけれども、大変なことの多い人生だったと思う。

にゃーちのために何もできなかったという後悔の念をずっと捨てることができなかった。同時によく言われることだけれども、もう猫がいない生活は考えられなかった。1年待とうと思っていたが、毎日保護施設のホームページをチェックして、にゃーちと同じ白黒ちゃんを見た時にもう心は決まっていた。そして、保護猫をお迎えすることになった。もちろん完全室内飼いだ。それがコハク。コハクの話はまた次回。

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