古典擅釈(19) 正気と狂気 増賀⑥
臨終の十日余り前、増賀は自分の死期を知り、弟子を集めて語りました。
「長年願ってきたことが、今かなおうとしている。まもなく現世を離れ、極楽に往生することになろう。このことこそ、私の一番の喜びなのだ」
彼は弟子たちを集めると講義を行い、弟子たちに経論の趣旨を議論させました。
さらに、極楽往生を主題として和歌を詠ませました。
次は増賀の詠です(『今昔物語集』)。
みづはさす やそぢあまりの おいのなみ くらげのほねに あふぞうれしき
長生きをして、八十あまりの老いを迎えることができた。水母の骨に逢うような、極めてまれな幸せに恵まれたことは、実にうれしいことだ。
増賀の辞世です。
「みずは」とは瑞歯のことで、年老いてから生え代わる歯のことです。
実際にあり得るものではありません。
水母の骨も、あり得ないものです。
八十七歳という、当時としては驚異的な寿命を得たことを素直に喜ぶ歌です。
狂気も奇行もない、穏やかな心が詠まれています。
竜門寺の春久聖人は増賀の甥に当たる人で、長年にわたり親しい間柄でした。
その聖人が側に付き添ってあれこれ世話をしたのですが、それが増賀にとっては何よりの喜びでした。
臨終の日、増賀は碁を打ち、泥障をまとって舞います。
彼に迷いが生じたのでしょうか。
いえ、そのような想念が生じたとき、自分を抑えて平静さを保とうとする方こそ迷いというものでしょう。
思い残すことのなくなった増賀は人を退け、一人仏堂の中で西に向かって端座し往生を遂げました。
増賀はしばしば、狂気の人、佯狂の人、奇行の人として語られます。
しかし、本当にそうだったのでしょうか。
私は初めに彼が孤独の人であることを知りました。
次に、彼が正気の人であることを知りました。
そして、何よりも慈悲の人であることを知りました。
彼の正気や慈悲が、余人の目には狂気や奇行として映りました。
そもそも、正気とは何でしょう。
多くの場合、人並みであることを正気と言っているにすぎません。
増賀を「天狗付き」と罵った人たちにこそ「天狗」は付いていたと言えるのです。
天狗の真っ赤な顔は、落ち着きを失い、いつも何かに興奮している人の表情に似ています。
自分という存在に執着する姿は、鼻高々の天狗そのものです(これは私のことです)。
「正気とは何か。それは自分の正気を疑う能力のことだ。
狂気とは何か。それは自分の正気しか信じられなくなったことだ」
このように言う人もいます。
もし自分のことを完全に正気だと思い込んでいるとしたら、実際はほとんどすれすれのところまで狂気に近づいているのかもしれません。
以前の私には自己の存在や自由という理念はまぎれもない真実や正義であるかのように見えていましたが、果たしてどうか。
近い未来、20世紀の多くの人々が信じて疑わなかった自己や自由は「妄想」であり、それらのために闘争した行為は最大の「奇行」だと認識されるようになるかもしれません。
増賀の正気の行いは、狂気めいていました。
彼の慈悲の振る舞いは、奇行として理解されました。
私たちは増賀のように奇矯に振る舞うことはありません。
ただ、私たちの正気や慈悲は狂気や奇行に案外近いところにあるのでしょう。
とすれば、増賀は私たちの勇気ある先達であったと言えます。
〈了〉
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