小説「ウンコ」

最近、何か、えたいの知れない不吉な塊が、私の心を始終圧おさえつけていて、これは、、焦躁と言ったらいいか、嫌悪と言ったらいいか、、酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやってきますよね?あれがきたのだと思います。

最近は本当にいけなくて、以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならないのです。新曲を試し聴きするためにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなります。何かが私を、、居堪いたたまらずさせるのです。

最近私は、見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられます。風景にしても、壊れかかった街だとか、その街にしても、よそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったり、むさくるしい部屋が覗のぞいていたりする、そんな裏通りが好きです。

雨や風が蝕むしばんでやがて土に帰ってしまう、といったような趣きのある街が好きです。土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり、、勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする、、そんな街。本当は、多分、、きっと言葉なんていらないんです。

だから、、私は時々丸善へ出かけては、棚から無造作に画本を引っ張り出して、積み上げた画本の上に、ポケットにしのばせておいたレモンを置いてみるのです。そのレモンは、もちろん、すべての善いものすべての美しいものを重量に換算してきた重さである必要がありますので、事前に入念に準備します。

重量の他に、私が特に気を付けているのは、農薬や防腐剤を落す作業で、野菜用の洗剤でゴシゴシ洗います。洗った後は、ミネラルウォーターをそっとかけて水道水を落してやります。そうやって向日葵のようになったレモンを、もう10年以上愛用しているジャンパーのポケットに大切に入れて、、というようなことを前日までに済ませておいて、朝早く、開店する前から丸善の入り口に並びます。

それで、開店と同時に画本売り場へ直行して、画本を引っ張りだすのですが、私はレモンをモネかマティスの上に置くようにしていて、でも、時々、バルテュスの上に置くこともあるのですが、、そうやって自分の好きな画家の画集の上にレモンを置いて、、それから、これもいつも決めていることなんですが、、丸善のトイレに入って、ウンコをしてから帰るようにしています。もちろん、流しません。

なぜウンコかというと、爆弾は、やっぱり一つだけだと、万が一不発に終わると、、って思うじゃないですか?だからです。私はこのあたり慎重な性格なのです。ここでちょっとそのウンコについて説明したいのですが、これは普通のウンコではダメで、理想を言えば、貪婪な蛸のようでなければなりません。便器にしつこくへばりついて、こすってもこすってもなかなか落ちないような、、そういうやつです。

そこまでしてようやく私は、向日葵のようなレモンと同じ権利で爆発するであろうウンコを思い浮かべながら、スキップで自宅に帰るのです。

おわり

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