小説「桜の樹の下には」

私は春という季節があまり好きじゃなくて、その理由は、年度初めでどうしてもバタバタしてしまうからです。でも、ひとつだけ楽しみにしていることがあります。私はこの季節、家の近くの公園のケヤキが新緑に変わるのが本当に楽しみで、貪婪なミツバチのように色のついた花なら何だって綺麗だと思っている日本人が、公園からいなくなったあとのケヤキの樹の下は、そこだけが、まさに私の季節です。

日本人は、春はサクラで秋はコスモスで、、とか、とにかくメディアが綺麗だと報道するものだけを綺麗だと考え、節操なく、淫乱な蕊だけを目指して季節を変えて行ったり来たり、さすがつい最近までコンビニでエロ本売ってた勇猛果敢な武士道の民。満開のサクラの樹の下に群がり場を消化するだけの劣化しきった日本人の姿は、本当に潔く、まさに都市化を成し遂げた現代社会の病理を象徴するものだと言えます。私がもし宮台真司のような社会学者なら、これを論文にして、この奇異な民族の所作を世界にレポートしていただろうと思います。

とは言え、そんな日本人がいなくなった公園の、静寂に佇むケヤキの樹の下は、もはや私の独壇場で、嗚呼、日本人が劣化してしまって本当によかったと、私は、今の季節ほど日本人の劣化を喜ぶ季節はありません。私は結構な街路樹フェチで、一番好きな街路樹はトウカエデ、その次がシャラで、その次がケヤキとサルスベリです。理由は幹肌とか葉の形とか色々ありますが、その核心については言葉にできません。ていうか、したくない。私は最近しきりに言語化がどうのこうの言ってる人たちを嫌悪していて、バカじゃないのかな、と思っています。

おわり



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