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エコロジー経済学における物質代謝論の可能性

今回は博士論文をまとめていく。

マルクスのエコロジー的な意義については理解が不十分であった。しかし、マルクスは資本主義の矛盾を「物質代謝の撹乱」つまりエコロジー危機だと見出していることから、エコロジー的な視点がむしろ核心をなしていると言える。そこで、マルクスのエコロジー経済学にとっての意義と可能性を示す。

マルクスとエコロジー経済学

従来、マルクスは商品、貨幣、資本に関しての分析は行ったが、エコロジー経済学が重視する自然的世界に対しては十分な関心を持っていなかったというのが通説であったが、近年明らかになりつつある抜粋ノートがこうした想定を覆す。

マルクスは晩年、自然科学に関するノートを作成しており、その範囲は、地質学・鉱物学・植物学・気候学など広範囲に及んでおり、ここには断絶があるとされてきたエコロジー経済学とマルクスの間の問題意識の重なりが見て取れる。

こうしたマルクスの問題意識を端的に表しているのが「物質代謝論」です。これは経済の商品交換としての社会的物質代謝と自然的な物質代謝を連環とみなすもので、資本主義は社会的物質代謝と自然的物質代謝の間に亀裂を生じさせると指摘している。「物質代謝の撹乱」は偶然ではないのである。

自然の無償性という問題

「自然の無償性」というのは、自然はなんらかの使用価値を形成する(価格がつく)のに、交換価値を形成しない(人間労働を含まない)ということを意味している。

資本主義のもとでは、労働や生産は価値増殖を目的としているのであり、その論理にしたがって自然が振り回される。

価値増殖過程は、資本が利潤追求のために自然を無視することに止まらず、自然が無償であることは、技術的な制約以外、資本に対する制約が存在しないことを意味する。その結果、より深刻な環境破壊「物質代謝の撹乱」が起きるのだ。

地代論の意義

自然は無償であるはずだが、現実には土地に価格がつき、地代の取引が行われている。マルクスは土地などの自然資源が取引されていることについて、「資本主義的生産様式の神秘化の完成、すなわち社会的諸関係の物化の完成」として批判している。

マルクスは、私的土地所有のもたらす弊害が世代を超えた農業の持続可能性という観点から捉えていたのだ。この点から、マルクスの地代論はエコロジー的な持続可能性をも念頭に置いたものになりつつあり、従来よりも広い射程を有するものであったのだ。

 マルクスが資本主義の代案をどう考えていたのかをさらに深めて考えていきたい。

~参考文献~
羽島有紀, エコロジー経済学における物質代謝論の可能性, 博士課程学位請求論文要旨

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