愛するということとマインドフルネス。

「愛するということ」を読破

フロムは、色んなことを書いてました。あまりこういう文体というか文調(?)は読み慣れてないので、今の私の力では要約は難しいです。

なので、一番印象に残ってる部分だけ簡単に切り取ってnoteしたいと思います。※本当に一部を切り取っているので、noteを見るみなさんには、だいぶ偏った内容になってしまうと思います。

具体的には、エーリヒ・フロムちゃっかり瞑想おすすめしてない?って点です。

エーリヒ・フロムの生きてた時代には「マインドフルネス」という言葉では広まってないので、厳密にはフロムがマインドフルネスをすすめるなんてありえないのですが、似たようなことは書いてました。

4章:愛の習練

私的にはこの4章と1章の愛は技術かというところが面白かったです。反対に言えば、2章と3章は難しくて何言ってるかあんまり理解できませんでした。

4章のながでフロムは

愛する技術に熟達したいと思うなら、あらゆる生活場面において、規律と「集中力」と忍耐の習練を積まなければならない。

↓(色々省略)

集中できることは、一人きりでいられるようになることであり、一人でいられるようになるための1つの必須条件である。
もし、自分の足で立てないという理由で誰か他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、二人の関係は愛の関係ではない。
逆説的ではあるが、一人でいられる能力こそ、愛する前提条件なのだ。※文そのまま

と述べたあと、「一人でいる努力をしてみれば、それがいかに難しいかわかるだろう」と言って「めっちゃ雑念でるよね、おちつかないよね、不安よね」みたいなことを言います。

さらにその後、「ごく簡単な練習をしてみるといいだろう」と話し、

例えば、リラックスして椅子に座り、眼を閉じ、目の前に白いスクリーンを見るようにし、じゃましてくる映像や想念をすべて追い払って、自然に呼吸する。呼吸について考えるのでもなく、むりに呼吸を整えるのでもなく、ただ自然に呼吸する。そうすることによって、呼吸が感じられるようにする。そこからさらに、私を感じとれるように努力する。私の力の中心であり、私の世界の中心である私自身を感じとるのだ。少なくとも、こうした練習を毎朝20分ずつ(できればもっと長く)、そして毎晩寝る前に続けるとよい。※文そのまま

と述べます。この後にさらに、これだけじゃなくて何をするにも集中させるように心がけよって言ってるんですが、要約すると「今」に集中しろと言ってるように感じます。

エーリヒ・フロムは

禅や東洋思想への関心を深めたと本の著者紹介のところに書いてますが、これらの文からもだいぶ、坐禅とかマインドフルネスに関心を寄せていたのを感じますね。

普通に毎朝20分、毎晩20分瞑想したらどうだい?って言ってますよねこれ

マインドフルネスとか坐禅とか関係なしに興味があって手に取り買った本ですが、まさかこんなとこでも出てくるとは笑

まとめ

他にも、愛について色んな視点から書いてある本です。なかなか難しいですが、年を重ねる度に染みてくる系の本だと思います。

愛する技術とは何だろう?愛するということはそもそも技術なの?って疑問に思った方は、読んでも損はないでしょう。

それにしてもやはりこの本のなかにまさかマインドフルネス的なことが書いてあるのは驚きでした。

エーリヒ・フロムもすすめてる(?)ので、みなさんも瞑想してみてはどうでしょう?笑

参考

エーリヒ・フロム(1991) 「愛するということ」紀伊国屋書店
※原著は半世紀ほど古い

これは最近の私のnoteです。たいしたことは書いてません。

愛するということ。|Ceionius #心理 #note https://note.com/keeeeeee/n/ncadf4abca692

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