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プロになるとは

APOFES2024が終わりました。
参加は二回目とまだまだ新参者ですが、
やはり出演者に温かい、素敵なフェスだなぁとしみじみ思います。
来年も出たいなぁ。
たくさんいい思いをしたので、APOFESを終えて感じてることを書き残しておこうと思います。

先に言っておきます。
長いです。
そして、そんなに中身もないです笑
とことん暇なら、どうぞ。


一人芝居を始めたのは一昨年で、きっかけは立本夏山さんの一人芝居の演出助手をしたことだと思います。

立本夏山さんについては、コチラ💁

演劇を始めて5年目。
教員時代の癖もあってか、1年やったら3年目が、3年やったら5年目が、5年やったら10年目がみえてくると信じているんですが(年次研修あるからかな?)、5年目から10年目ってスパン長いよね。
ちょうど2/mashiの公演も二回やって、演助デビューもして、(言い方はアレだけど)歯車としてのスタッフワークは不向きだとじわじわ感じていたりもして、もっと他の世界を知りたがっていた時でした。多分。
ごめんなさい、いつも記憶はあやふやです。

演出も演助も劇作家も、俳優も、集団の中にいると”他の人の領域を侵食しないこと”に気を遣ってる気配があって。
それがめちゃくちゃやりにくくて、気持ち悪くて、困ってました。

主宰の公演で作演を兼ねると
「けちゃさんはどうしたいんですか?」
「けちゃさんは何がいいんですか?」
とめちゃくちゃ聞かれます。

頑張って答えてみるものの、口から出まかせばっかりなんですよ、これが笑
そしたら書いたものも、白々しく感じるんですよー、これが笑笑
単純に私の文筆力の無さですよ。わかってますよ。

けどね!
しらねぇよ!
自分だって見たことない、面白いものを作りたいんだよ!
わかってたらおかしいだろばーかばーか!!

作演がこれを言うと集められた人間は大変困る、ということは学びました。


いやいや、あるんですよ?私にも。
このタイミングでこのセリフをこう言って、明かりと音がこう入ったら素敵だと思うなぁーっていう、案が。
でもなんか、それを細かくみんなに伝えて、分かってもらって、”脳内を再現してもらう”ことが、つまんないんですよね。
すごーい、とはなるけど、うん知ってる、ってなっちゃうんですよね。


自分の作ったご飯を、美味しいって喜べる人いるじゃないですか。
私、あれできないんです。
めちゃくちゃレシピ通りに作って、めちゃくちゃ完璧にできても、もう知っちゃってるんですよ。
塩どれくらい入れたか、どんな味を作りたいのか、なんの食材がメインなのか。
ポテサラにわさびとめんつゆ入れると美味しんだって。ピリッとしてちょっと和風で。
って聞いたから作るじゃん。
やっぱピリッとして和風になるじゃん。
うん、美味しい。知ってる知ってる。
んで???


悪いことじゃないと思います。
でも別に、喜びとか楽しみとかはあんましないんですよね。
なんか、驚きとか発見とか、小さく感動とかないと、楽しくないんですよね。
で、いつまでたっても料理が好きなれない。嫌いじゃないけど、別に凄く楽しくもなれない。
QOLが上がらない・・・。

私の生活の質はさておき、自分の演出案通りの舞台って、そんな感じ。

好きだよ。好きな味付けだし、好きなメニューだし、好きな食材だし。
そう作ろうと思って、そうできたら嬉しいしね。
あー良かったってホッとするしね。
うん、美味しい。
知ってる知ってる。

って感じ。
自分が感動できないってだけなんだよ。
それ、つまんないじゃん。


一人芝居は、使う食材と調味料だけ決めて、その日の気分で料理を始める感じだと思う。
炒め物か煮物か揚げ物かも分かんない笑
でも、全く知らない料理は作れないから、本番までにいろんな料理を作ってみて、作り方と味をいっぱいストックしとくの。
しかも食べるのは自分だけじゃなくて、他の人(お客さん)もいるから、ヒヤヒヤよ。
その追い込まれ感が、なんか生きてるーって感じがする笑
はた迷惑この上ない。


とまあ、作演の面白さを見失っていたところで、夏山さんの一人芝居に出会うわけです。
夢野久作の「ドグラマグラ」で、小説だからやっぱりモノローグ中心なんだけど、一人芝居と言いながら能楽師で俳優の今井尋也さんと、サウンドエンジニアのHAJIME KOJIROさんも参加してて、もう何でもアリなの笑
出演者もスタッフも、肩書きよりも個人としてそこにいて、何でもやっちゃって、「自分は〇〇であの人は□□だから」みたいな遠慮とかなくて、まぁとにかく居心地が良かったんですよ。
あーこうやって生き生きやれば、それだけで、なんも分かんなくてもみていられるもんなのかー。
こういう稽古場を作れば線引きとか取っ払えるのかー。
と励まされました。

子供の時から芥川龍之介の「河童」が好きで、演劇初めてすぐこれを戯曲にしようとしたことがあったんだけど、すぐに何か違うってなっちゃったんですよね。
多分、芥川の書いた文章を現代口語にした途端、薄っぺらくなっちゃったのかな。これも私の文筆力の問題。知ってる知ってる笑

そして、夏山さんの一人芝居をみて、これなら一人で「河童」できるじゃん!となったわけです。
俳優やスタッフの線引きも遠慮も気にせず、こっちの演出案を押し付けることもなく、誰も困らせることなく、一人で好きな世界を好きなだけ形にしたらいいよ。
口から出まかせ言うのも、白々しい本書くのも、やめるんだ!
自由だーーー!!!


と。
そんな感じで作った河童は、登場人物のかわいらしさと芥川の言葉の力があってか、まあ楽しい仕上がりになりました。
会場となったサブテレニアンさんも寛大で、私が脚立を駆け上ったり振り回したりしても怒らないでくれてww
味をしめた私はAPOFES2023に参加したわけです。
会場の広さ的に脚立が使えなかったので、新しく作ることになったのですが、さて「河童」の他に好きな作品?・・・・・・宮沢賢治か。
と安直に考えたら、まぁ大変で。
こりゃ何回かに分けないと、私自身も腑に落ちないなと思って新たな戦いが始まるのでした。


とまぁ、長くなりましたがここまでが、一人芝居を始めた経緯です笑


で、本来書きたかった「プロになるとは」はこのAPOFESの二回目を終えて考えたこと、でして。


長いね。
ここからも長いんだけどね。


一人芝居は、自由でいいし、自己紹介というか名刺みたいなもんになればいいと思って作ってます。
私の一人芝居を見て「すきー」って言ってくれる人とは、多分まあまあ楽しくやっていけると思うんですよね笑
”面白い”の重なる部分というか許容範囲が広そうで。

でも今回、もらった感想の多くが一番最初に
「宮沢賢治に詳しくないから分からないとこも多いんだけど・・・」
とあって、
”あぁ、なんか知識をひけらかす感じになっちゃったんかなぁ?”
と反省とかもしまして。
なんか、それはやだなぁと。

それと、結局私の伝えたかったことは何だろう?と考えてみたんですが(せめて上演前に考えろ)、かなり極端な言い方しますと、

私にとって宮沢賢治は、
”志の半分も達成できず、親の庇護下からも脱せられず、大人になれないまま亡くなった可哀想な人”
なので、すごい!とか偉人!とか難しい!とか思う前に、やりたいことがあるなら体を鍛えて現場に出て、一日一日小さい一歩でもいいから実践してこうぜ、みんな!!!
にしても、この言語表現、乙だよね!!!

なのです。
ええ、極端。


結果、今回の「アンダンテやゝうなるがごとく」は、そういう私なりのメッセージが届くように作れたら良かったし、しかもその上で見る人たちに感動を起こせたら、それがプロになれたってことなんかなぁとか、ちょっと考えました。
別にアマだと思ってやってないけど、プロだと胸を張れてもない気がする。
誰かを助けたり、誰かの役に立ててる気配もないし。


ちなみに、テーマは”賢治の仕事観”だったんです。

これはもうね、お父さんとの関係が強いなと思いました。
めちゃくちゃ賢治のおとん、立派だったんだと思う。
賢治も本当に頭が上がらなかったんだと思う。
けど、脱したかったんだと思う。そんな自分は情けないから。
んで、認めてもらいたかったんだと思う。尊敬してるし、好きだから。
だからずっと反発して、家出にも近い上京やら独居生活やらしてたんじゃないかな。
親って難しいよね。素晴らしい親だったら、子供はそこを越えるのが大変だったりするよね。

これは作りながらほぼ固まってて、シーンを増やすか一瞬悩んだけど、一人芝居じゃどう足掻いても書けないし、やっぱりおとんがちゃんと登場した方がおいしいと思うので、まるっきり省きました。
当パンに書くかどうかも迷ったけど、そもそもシーンないし、「こう作ったのでこう観てください!」って先出しで言うのもダサいなと思ったので、あまり人にも言ってません笑
いつか、登場人物が二人以上の芝居で書けたらいいなと思います。

親子関係と自立・独立の問題は、誰だって通る道で、そこに賢治の文章が寄り添うように登場する話が書けたら、それは誰かの役に立つかもしれないな。
そういうとこまで考えて、幕をあけられたら素敵だな。
そこまでできたら、プロだって言えそうだな。



と、なんとなく自分の目指したい完成度というか、あり方というか、そんなものを考える機会になりました。


私は賢治に、大いに喧嘩を売りたい所存なので、
理想を語る以上に実践したい。
一歩でも多く歩きたいし、一粒でも多く種を蒔きたい。
賢治より長生きして、無事に独立したい。
賢治の見たかった世界を、代わりに私が見たい。
だから力を借りたい。
そうして次は誰かの力になりたい。


プロになる覚悟、芽吹け。


線路と道路と住宅に挟まれた
三角州
たぶんみんなより
三〇センチメートルほど浮いている
だからやってくるのは
どこかぼんやりした人ばかり

梅と銀杏の木の並ぶ
その公園は
ぐるっと一周するように
ベンチが並んでいるもんだから
相撲を取ろうと
楽団をやろうと
活劇をしようと
余すことなくみんなから見守られてしまう
でもみんな
まっすぐじっとは見てこない
それが優しさだと知っているから

いるよ
いるよ
ここにいるよ
見てないよ
見ているよ
君が笑っているのを
泣いているのを
知ってるよ
見てないよ

だから思う存分
めいいっぱいの大声で
ぼくはぼくの歌を歌う
好きじゃなくてもいいさ
役に立たなくてもいいさ
ぼくがここに立っていることを
肯定しなくていいさ

ぼくは戦う勇気がほしいから
梅が散って
桜が咲いて
銀杏が落ちる頃にはもう
ぼくはここには来ないから


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