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翻訳と英語学習は分けて考えよう

先日、ある辞書イベントに参加しました。主にプロの翻訳者たちが辞書をどう使うか、辞書の引き比べを楽しむイベントです。私はマニアではありませんが辞書は好きなほうなので、4時間の長丁場があっという間に感じられました。

というわけで今回は、辞書の使い方に絡めて「翻訳と英語学習」について考えてみます。結論から言うと、「翻訳は大変」「それに比べて、英語をただ使うだけってラク」という話です。

翻訳と英語学習が別物なのは、なんというか、ものすごく当たり前のことです。下記に並べた違いも、いまさらすぎることばかり。でも、特に日本の英語学習者は学校などで「英語を日本語に訳す」という経験を積んでいるせいか、翻訳と英語学習をごっちゃにしているようなところがあります。これをきっちり切り離すことで英語学習に良い効果があるような気がするので、当たり前でいまさらなことばかりを、あえてシェアしてみようと思います。

ちなみに私は、かじった程度ですが翻訳経験があります。これまでにも何度か翻訳者向けイベントや勉強会に出席していますが、それは自分の翻訳スキルを上げることが目的でした。今回はじめて英語学習者の視点をこっそり持ち込み、プロの翻訳者たちが言語を扱う様子を見学してみたところ、改めて「翻訳と英語学習は違うなぁ」と気づいたのでした。

1. 辞書:翻訳には必須、英語学習では好みの問題

翻訳する場合、辞書を引くことは必須です。知らない語はもちろん、知っている語も、知っているつもりの語も調べます。調べたあと、語義の意味や使い方をさらに調べます。今回のイベントも、参加者全員がその前提でいないと成り立たない構成になっていました。

一方、英語学習において辞書は「好みの問題」です。調べものをするとき、もちろん辞書を引いてもいいですが、もし辞書が嫌いなら引かなくても何とかなります。たとえば学校の英語では、教科書に出てくる単語はすでに日本語の意味や発音のヒントが添えられているし、対訳付きの一覧表がネット上に転がっていますから、辞書を引く必然性を感じない人が多いでしょう。受験の英語となると、辞書より用語集の方が人気かな。大人の学習者では、英語、日本語を問わず辞書を1冊も持っていない人が珍しくないですし、ネット上の辞書ですら「引かない」と断言する人もいます。英語学習の中で知らない語に出会ったら「検索する」というのはいまや王道と言える方法でしょうし、「近くにいる人に聞く」で事足りることもあります。

英語教育において、学習者に辞書を引く楽しさを知ってもらえるよう工夫するべきかどうかは意見の分かれるところでしょう。確かに、辞書を通じて言語の奥深さに触れると、言語学習はおもしろくなります。でも、言語習得には、完璧主義や緻密な分析より、いいかげんさや面倒くさがりの方が役に立ったりもします。

2. 主役:翻訳は他者中心、英語学習は自分中心

翻訳は自分以外の人が言ったり書いたりしたことを訳す作業ですから、受信スタートです。たとえば発信者がイギリス英語を使うIT系の男性の学生なら、翻訳者は自分の属性とは無関係に、発信者の言葉をいったん自分のものとして咀嚼します。また、訳した後には読み手を念頭におき、たとえば日本の年配の一般読者にもわかる表現で “正しく” アウトプットする必要があります。どちらの場合も自分を出さず、黒衣に徹するよう努めます。

翻訳では自分の知らない分野や理解できないことも、基本的に拒否せず訳します。たとえば私はTEDの字幕翻訳で医療、宗教、芸術、経済、政治、教育など、さまざまなジャンルのトークを訳しましたが、登壇者の言葉を本当の意味では理解していないだろう私が、訳とはいえ「私」で語るというのは、なんとも危うく、おこがましいものだなと感じることがありました。

その点、英語学習者は「自分、自分、自分」です。どこの英語を学ぶかも、どんなジャンルの物事をどう表現するかも、全部自分で決めちゃえます。コミュニケーションがうまくいってもいかなくても、合ってても間違ってても、相手と仲良くなれてもなれなくても、すべて自分の責任ですから気楽です。第二言語とはいえ自分の言葉を話すのですから、背伸びも縮こまりも必要ありません。英語を使うというのは、等身大の自分を発信するための行為であり、学習はそれを実現させるためのプロセスです。

3. 言語技能:翻訳は限定的、英語学習は何でもアリ

「読み・書き・聞く・話す」などをまとめて language skills(言語技能)といいます。このうち、翻訳では特に「読み・書き」のいわゆる書き言葉を扱います。翻訳者は、元のテキストを読み、訳を書きます。今回のイベントで初めて知りましたが、プロの翻訳者は「書くときにはこれ」「読むときはこっち」など辞書を使い分けているそうです。

また、翻訳には言語ペアがあり、翻訳前の言語(元言語、ソース言語)と、訳出する言語(ターゲット言語)の組み合わせは基本的に翻訳する本人が選択します。たとえば日本語を英語に訳す場合は「日→英」で、この組み合わせに該当する仕事を受けます。「日→英」「英→日」の両方を同じように訳せる人もいるようですが、どちらかに偏っている場合が多いです。ちなみに私は英語から日本語に訳す方が好きです。

一方、英語学習者は何でもアリです。たとえばプレゼンテーションのスクリプトを書いて音読したり、映像に字幕を付けたりなどして、書き言葉と話し言葉を混ぜることが許されています。そういえば、AI などの影響で書き言葉と話し言葉の境界がなくなってきていますが、あれは英語学習とよく馴染む動きなのかもしれません。

英語でなにか表現しようとしたとき、日本語が先に出てきたり、逆に英語でしか言えなかったり。英語学習者は、訳しようがなければ翻訳を放棄することができます。「一日中、英語しか使ってない」なんてことが何日続いても大丈夫です。

そもそも翻訳は特殊で高度な技術ですから、脳内の酸素や栄養を大量に使います。英語を使うために学んでいる人は、翻訳している場合じゃないんです。とっとと英語だけで事足りるようになって、貴重なエネルギーをもっと大事なことに使うようにしてください。

4. 解釈:翻訳は慎重に、英語学習は自由に

翻訳は他者にはじまり、他者に終わります。書き言葉の枠内で、多くの場合、訳す方向まで決められています。どんなに複雑な内容でも、辞書などを使って徹底的に調べ、少なくとも自分で光景を描けるところまで咀嚼します。さらに、それと同じ光景を読者が違和感なく再生できるように言葉を選び、誤解を招く可能性を極限まで減らすために推敲します。制約が多く、慎重さが求められる世界です。

英語学習は、等身大の自分を表現するためのプロセスで、そのためにはどんな手段を使っても構いません。だから英語学習コーチングは「あなたのやりたいこと」や「好きな方法」を軸にしているのです。たとえば英語を聞いたり読んだりしながら取るメモは、英語のままでも、日本語でも、図やイラストでもオッケー。英語を話すときには、表情やジェスチャーなど非言語のキューが使い放題。英語を感覚で理解し、絵や音楽で表現することだって可能です。細かいことは気にせず、自由に、ときには大胆に。
 


Photo by Felicia Montenegro on Unsplash

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