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ティーチング的でコーチング的な、中間のなにか

先月末から、Neurolanguage Coaching® (NLC) について改めて学んでいます。日本時間では午後10時から午前1時まで、連日みっちり3時間。開発者 Rachel Paling の提供している講座をなるべく忠実に理解する目的で、本人から直接伝授してもらっています。おかげでこんな感じです。

ポッドキャストで Asako さんと話したとおり、ひとくちに「言語コーチング」と言っても、中身はいろいろです。Rachel の講座にしても、私が受けた2013年のいわば黎明期と、Asako さんが受けた2021年の最新版とでは、大筋は変わらないものの、やはり内容が異なっています。

今回 NLC を学び直すことにしたのは、最新版とその後ろにある Rachel の考えを聞き、そのうえで、特に日本人に英語を教える “ティーチャー” や “コーチ” のみなさんに対して、私にできることがあるのか、あるとすれば何なのかを考えるためです。まだ考えはまとまっていません。研修に参加する前、序盤、後半の現在のそれぞれに違うアイディアが生まれては消え、ぐるぐるしながら醸造しています。

そういう中で、現時点で「これかな」と思うのは、NLC がティーチングとコーチングをつないで、お互いに良いところを認め合うきっかけになるかもしれないということです。正直なところ、私は Rachel の考えのすべてに賛成しているわけではありません。でも、ティーチャーにコーチングの効果を伝えることによって学習者に良い影響を与えようとする彼女の活動には共感できるし、もし私に手伝えることがあるならしたいと思っています。

ティーチングとコーチングは、敵対する「VS(バーサス)」の関係であるかのように扱われることがありますが、そうではないというのが私の考えです。私自身は今のところ「コーチ」を名乗っていますが、実際にはティーチャーの部分もあります。呼び方はどうあれ、ティーチャーがコーチングの技術を使いこなし、コーチにティーチングの知識があったら、学習者は快適に学べるんじゃないかな、と。純度100%のティーチングでもコーチングでもない、混じりけのあるなにかが、学習者にはいちばんありがたいんじゃないかと思うのです。

「コーチングにティーチングを、ティーチングにコーチングをどれだけ入れるか」は、教える側の力量や考え方によります。さらに、学習者によって、あるいはセッションごとに配合は変わります。つまり、学習者一人ひとりがコーチングの濃い学び方、ティーチングの濃い学び方を行き来しながら、セッションごとに異なる体験をするわけです。もちろん、あくまでも結果的にそうなるという話で、たとえば事前に「今日はコーチング55%で行こう」などと決めているわけではありません。学習者の反応を見ながら、より効果が高そうな方法を選んでいると自然にそうなります。

「セッション」というのは音楽の演奏などにも使われる言葉ですが、コーチングのセッションも、やはりその場の呼吸で、コーチと学習者が協力して作り上げていくところがあります。「授業」や「レクチャー」にそういう要素がないわけではありませんが、「セッション」には、より即興的な雰囲気があるように思います。

このセッションのライブ感や柔軟性を、多くのティーチャーに体験し、教室で応用してもらいたいのです。脳は「リアル」で「パーソナル」な事柄はよく学ぶと言われています。「リアル」とは作り物ではない、現実的な話題や状況のこと、「パーソナル」とは自分ごとという意味です。

一方で、コーチはティーチャーのもつ英語教育の専門家としての知識に敬意を払い、彼らや研究者が積み上げてきた実績から謙虚に学ぶ必要があります。「コーチだから文法は知らなくていい」「教えるほど英語ができなくても、コーチングなら大丈夫」というような態度では、学習者のニーズに応えることができません。なにより、教育というものに対して失礼です。

ティーチングとコーチングが歩み寄り、混ざり合って相乗効果が生まれる。いつかそんなことが実現できたらいいなと思いながら、今夜も研修にいってきます。


Photo by Tomas Sobek on Unsplash

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