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通訳翻訳フォーラム 参加メモ:前編 (1/3)

8/1~31 開催中の「日本通訳翻訳フォーラム2020」に参加しています。

このフォーラムは、本職の通訳者・翻訳者を対象とした専門性の高い集まりです。私は通訳も翻訳もボランティアかバイトで時々やる程度なので、本来は部外者。今回はたまたまお声がけいただき、オンライン開催で、本職じゃない人もOKと聞いて、混ぜてもらうことにしました。通訳者・翻訳者といえば、優れた言語力と鋭い言語感覚をあわせもちながら、常に学びに貪欲なプロたちです。私は言語コーチとして、彼らの経験や考え方に触れ、英語教育・英語学習に役立つヒントをもらって帰ろうと思っています。

前半の15日間で、27セッションが開かれました。私がお邪魔したのは7セッション。全体を通じて印象的なのは、登壇者、司会者ともに発声や滑舌の良い人が多いこと、登壇者がとても誠実に語り・聞き・答えてくださること、司会者の臨機応変な対応が素晴らしいことです。さらに特筆すべきはQ&Aのクオリティなのですが、これはまた別の機会に書くことにします。

今回から3回にわたり、参加したセッションの中で、私が「これは英語教育・英語学習に使えるな」と感じたポイントをシェアします。
※セッションの内容を伝える「まとめ」等ではありません。

1. 柴田元幸、永井薫「ぼくは翻訳についてこう考えています」 より

翻訳者の柴田元幸さんは、「日本語を身につけるには、どうしたらいいか」という問いに、やわらかな気負いのない口調でこう答えられました。

・”美しい日本語接触筋トレ”みたいなことはやりたくない。
・僕にとって翻訳は遊び。苦しいことはやりたくない。
・たぶん無理しても身につかない。
・遊びの中で鍛えられればいいな。
・使いたくない日本語がわーっと聞こえてくるような環境には身を置きたくない。

ことばをよく知り、畏れ、ことばと仲良く暮らしていらっしゃるんだなぁと思いました。学習者はときに自分の母語や目標言語と戦って、勝ったり負けたりしているように感じることがありますが、こんなふうに穏やかに軽やかに、ことばたちと長く付き合っていけたらいいですよね。

日本語と英語の違いについての言及には、学習者に知らせたい情報がぎゅっと詰まっていました。たとえば、これ。

・英語は繰り返しを嫌う言語。日本語は繰り返しに寛容な言語。

こうした違いは読む・聞くときに気づいてほしいことですし、もし学習者が書く・話す中で気を配っている様子を見せたら、大いに褒めたいところです。「嫌う」と「寛容」にはそれぞれの言語の生活態度のようなものがあらわれていますが、両方をバランスよく使うことによって「英語版の自分」と「日本語版の自分」を確立していってほしいと思います。

また、語順に関する注意点として出てきた、これ。

・英語の読者は元の語順で情報を吸収している。等価に訳そうとするなら、翻訳もその語順で訳した方が、原理的には良いに決まっている。
・訳し上げると、原文と違ったものになる。
・気をつけていないと、受験英語的に「主語を訳したら、次は後ろから前へ」になりがち。

これは、高校までに叩き込まれた“受験英語”から脱却し、大人にふさわしい”受験英語”への移行を促すときに有効な知識だと思います。「だいたいの意味がわかればいい」という段階を過ぎ、英語を使うことによって「自分」を表現し評価される段階にある大人の学習者には、改めて認識してほしい点です。

そして、英語を教える側として肝に銘じておきたいことも。

・自然さの等価、つまり「この言い方がどれくらい当たり前なのか、異様なのか」はもっと考えられるべき。

自然さは、日本の英語教育でも「もっと考えられるべき」だと思います。自分の日本語や英語がどれくらい自然なのか、学習者の英語がどれくらい「当たり前」から離れているのか。そのセンサーが鈍くなったら、言語に関わるお仕事から引退しようかなと思いました。

最後は、これ。「翻訳」を「コーチング」や「授業」に換えて。

・自己愛を殺す。「ここは気合いを入れて、頑張って訳した、工夫した」と思うと、余計なエゴ、自己愛が出てしまう。「自分の翻訳に酔ってないだろうか」と編集者の目で見るようにすることが、安定度につながる。

私はいつも自信がないタイプなので「酔う」ということはほとんどないですが、それでも慣れや怠け心によって自分に甘くなることはあります。気をつけます。

(つづきます)


Photo by Christian Fregnan on Unsplash

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