いまさらだけど、「言語コーチング」とは?
ひと昔前と比べれば「聞いたことある」という人は増えてきましたが、日本での言語コーチングの認知度はまだまだです。というわけで、「言語コーチングとは?」の私なりの解説と、近年の欧米での最新の動きをご紹介します。
…の前に。「私」は誰?
私は2010年からオンラインの片隅でひっそりと英語学習コーチングを提供している者です。うちの場合、中身は英語とコミュニケーションを学ぶプロセスで、それをお届けするための外箱がコーチングという建て付けでして、届け方の質を向上させるべく、コーチングや言語コーチングの情報を取り入れている、という感じです。
2013年にレイチェル(下記 例1つめ)と出会い、2021年までの間に、ICF(国際コーチング連盟)認定言語コーチ、上級、プロフェッショナル資格と、言語コーチ養成講座の講師ライセンスを取りました。現在は ILCA(例2つめ)の言語コーチング講座を受講中です。コーチングについては ICF や WBECS などを通じてときどき学んでいます。
言語コーチングとは?
コーチングの言語学習版です。たとえばスポーツでは、テニスやサッカーなどのコーチがよく知られています。コーチは選手が目指すゴール(例:優勝する)を共有し、ゴールにたどり着くためにどうすればよいかを考え、選手の変化をサポートします。コーチングには、ある競技に特化した部分(例:ラケットの使い方)と、すべてのスポーツに共通する部分(例:試合中のメンタル)、そして人生全般に影響する部分(例:挑戦する)があります。
ビジネスや教育のコーチングも基本的には同じで、コーチングを受ける本人のなりたい自分像をもとに、コーチと受講生が一緒にゴールを決め、二人三脚で進みます。言語を学ぶ人のコーチングなら、文法や語彙など言語に特化した部分、計画ややる気など学習に共通する部分、成功体験や物事の捉え方など人生観に関わる部分を扱います。「英語の上達を目指してコーチングを受けはじめたけど、思いがけず人生の分岐点になった」というようなことが起きるのは、このためです。
コーチングの効果やプロセスは共通することが多いのですが、コーチのタイプはいろいろです。勝ちにこだわる決定型、メンバーの声をよく聞く協調型、分析や戦略を練る診断型などがあり、それぞれに長所が異なります。コーチを選ぶ際には、自分の目的に合ったタイプを見つけることが重要です。専門知識やある程度の経験は不可欠ですが、名選手が名コーチとは限らないということもあります。
言語コーチングの起源については記録が見つかっておらず、詳しいことはわかりません。言語教師の中には「コーチングとは呼んでいなかったけど、1980年代からそれっぽいことをやっていた」と証言する人もいます。2000年にはドイツでジム・ハーディーという人が「言語コーチ」を名乗っていたと伝えられていますので、言語コーチングは遅くとも20世紀末までには誕生していたと考えられます。
外国の言語コーチング事情
言語コーチングがもっとも広まっているのはヨーロッパです。言語や文化の異なる国々が陸続きで隣接し、人々の交流が盛んですから、より良い言語学習法へのニーズが高いのでしょう。ヨーロッパでは複数の言語を話す人の存在が珍しくなく、そもそもお互いの言語が似ているなど、外国語を学ぶハードルは心理的にも物理的にも低めです。これは、たとえば日本人が英語を学ぶ場合とは大きく異なります。
政治、経済、教育などあらゆる面で今日の日本が影響を受けやすいのはアメリカの動向です。アメリカのコーチングは200億ドル(約2.6兆円)規模に迫る産業ですが (Willis, 2021) 、多くを占めるのはライフ、ビジネス、エグゼクティブ、スポーツコーチングなどでしょう。今後、言語コーチングがアメリカで広まるかどうかはわかりません。現状は、言語(主に英語)の教育者の中で意識の高い一部の人が個人的に学んで実践している程度かなと思います。国全体として外国語に対する関心が薄く、言語教育といえば主に移民の英語教育や継承語教育。さらに世界のどこへ行っても基本的に母語だけで困らないなど、アメリカは日本より言語コーチングが広まりにくい環境だと言えるかもしれません。
で、さて日本ではどうなるか。それを考えるために、すでに広がりつつある言語コーチングの例を見ていきます。
言語コーチングの例
ひとくちに言語コーチングといっても、背景にある考え方や特徴はそれぞれです。他にもたくさんあると思いますが、以下、たまたま私が出会った3つについて簡単にご紹介します。
Efficient Language Coaching (ELC)
2008年創業。拠点はドイツ→スペイン。イギリス出身の弁護士でポリグロット(多言語話者)であるレイチェル・ペイリングが、言語を学び、教えてきた経験をもとに言語コーチングを体系化しました。2012年から ICF 認定言語コーチ資格を発行し、2021年までに1000人を超える言語コーチを輩出。コーチの大多数はヨーロッパ在住ですが、南北アメリカ、アフリカ、アジアにも広がりを見せています。2022年8月現在、日本にも11人の認定言語コーチがいます。
脳や神経科学への強い関心から、言語コーチングは2014年に「ニューロ言語コーチング」へと改められ、さらに2020年には、脳と心、教育全般に働きかける「ニューロ・ハート・エデュケーション」の一部となりました。2017年からヨーロッパ各地で毎年開催しているカンファレンスも、これに合わせて名前が変わっています。
ペイリングによるニューロ言語コーチングの定義は以下のとおりです。
ELCの言語コーチングでは、コーチから受講生へ知識とスキルが伝わっていくときの効率の良さ、速度、そして効果が持続することを特徴として掲げています。詳しくは、2017年に出版された『ニューロ言語コーチング:脳にやさしい言語学習』という本で説明されています。
The International Language Coaching Association (ILCA)
2019年、アメリカで発足。オーストラリア出身でハンガリー在住のガブリエラ・コバチと、アメリカの言語学者キャリー・マキノンが立ち上げました。近年の “自称・言語コーチ” 急増を受け、言語コーチングの基準を設けて、その水準に見合うコーチを養成するための講座を開いています。
発足して3年のうちに、WBECS の公式パートナーになったり、2022年には初めてのカンファレンスをロンドンで開催したりと、精力的に活動しています。まだ小さなコミュニティのメンバーはやはりヨーロッパの人がほとんどですが、南北アメリカやアジア在住の人もちらほらいます。
ILCAでは、言語コーチングを「対話によるプロセス」と定義しています。
ILCA の言語コーチングでは、コーチと受講生は対等な関係とされています。「内発的動機」や「気づき」、「当事者意識」などのキーワードは、いまどきの教育関係者にはおなじみのものでしょう。
コバチは言語コーチングの総合的な手引書を執筆、2022年に出版しています。「コーチングってなんだか怪しげ…」という人や、言語コーチングの学術的な背景を知りたい人にはオススメの一冊です。質量ともにずっしり重厚なのでちょっと気合が必要ですが、たとえばTESOL(英語教育学)、第二言語習得、応用言語学などを経てコーチングに興味をもった人が読むと、言語教育業界で広く知られている研究と、言語コーチングとの関連性がわかって安心できるのではないかと思います。
Language Communication Coaching (LCC)
イギリスを拠点に、2014年発足。ジョニー・ベイカーとエマニュエル・べサムが、言語とコミュニケーションにまつわるさまざまな問題を解決するため、心理学や NLP(神経言語プログラミング)、認知行動療法に基づくコーチングを提供しています。
LCC のコーチングのうち、第二言語話者向けのものは Coaching For Language Learning(CFLL:言語学習のためのコーチング)と呼ばれています。学習者の目標言語(例:英語)によるコーチングを通じて、内省や創造的な活動を促し、特に母語からの翻訳をやめて目標言語で考えることを重視しています。2018年にはべサムが CFLL の入門書を出版しました。
べサム自身がフランス語の母語話者で英語教師だったことから、英語ノンネイティブの教師や英語学習中の読者を想定して、シンプルな英語で書かれています。全体的にエッセイ風の語り口で、写真や図、セッションの実例も多いため、さらっと読めます。この本の中で、CFLL は次のように定義されています。
CFLL は学習アプローチ、哲学、教授法、カリキュラムの顔を同時にもち、学習者の思い込みやお決まりのパターンに疑問を投げかけることで変化をうながすとされています。
さいごに
2022年夏の自由研究として、ヨーロッパを中心に広がりを見せる言語コーチングについてまとめてみました。言語コーチングは、もはや目新しい一過性のトレンドではありません。日本ではまだ知らない人の方が多そうですが、実は国内でも、オンラインの養成講座や書籍などを利用して、世界水準の言語コーチングを ”輸入” して実践している人が増えてきています。
私としては、ひと昔前に比べて言語コーチングを提供する団体や個人が増え、学習者にとっての選択肢が多様化しているのは良いことだと思います。一方で、誰でも自称できる「言語コーチ」の資質やスキル、考え方をどう見極めるか。つまり、コーチを選ぶ学習者の目が大切になってきています。この記事がその一助となれば幸いです。
今回、例として挙げた3つの言語コーチングには共通点がいくつかあります。たとえば、言語教師を対象に講座を開講していること。これは「言語コーチになるためには、言語を教えられるだけの知識と経験が必須」と考えている証拠です。また、コーチングの面でも、スキルより「コーチとしてのマインド」を重視している点が共通しています。これにより、心理セラピーやコンサルティングなど、言語コーチングと混同されがちなサービスと明確に一線を画すことができています。
そのほかの共通点は、学習の結果(例:点数アップ)だけでなく、学習のプロセスを大切にしていること。このタイプの言語コーチには、学習者の心身の健康や感情の変化に敏感であることが求められます。これは、言語学習を長期的にとらえ、学習者を、その性格や立場など含めた人間として捉えているからです。世の中にはスパルタ式、管理型、成果主義の言語コーチングもあるようですが、今回取り上げた3つは、それとは対極をなしています。
一方、3つの言語コーチングには違いもあります。たとえば、コーチと学習者との関係性。また、脳や神経科学の知見はどの言語コーチングでも扱いますが、その度合いはそれぞれ。心理学についても同様です。あるいは、コーチングセッションの対話を学習者の母語でおこなうか、目標言語にするかというところにも、考え方の違いが表れています。
幸いなことに、こうした情報は誰でも手軽にアクセスできる場所に開示されています。コーチングも教育も、学ぼうと思えばいくらでも学べる分野です。たとえば講座を受講したり、資格をとったりしても、コーチの学びは終わりません。「言語コーチ」を名乗る人には、先人たちが築いてきた言語コーチングの大きな流れの中で、自分がどこに立っているのか、何を大切にしているのか、改めて考えてもらえるといいなと思います。そのうえで、言語コーチが自ら「なぜ自分はティーチャーでなくコーチなのか」「自分はどんな言語コーチなのか」などをわかりやすい言葉で正直に公表してくれたら、言語学習の世界はもっと多様でカラフルになってくるはずです。
英語を学ぶ人には、「ひとくちに言語コーチングと言ってもいろいろなんだな」ということを知っておいてほしいです。最終的にどんなコーチを選ぶかは自由ですが、できるだけ自分の目で見て比較検討したうえで、体験セッションなどを通してコーチとの相性を確かめるようにしてください。そのとき、コーチ自身の学んできたことや背景にある考え方を知っておくと役に立ちます。みなさんの英語学習にかける想い、時間や労力がちゃんと報われますように。
*Willis, R. (2021). 3 trends that will shape the future of coaching. International Coaching Federation.
Photo by Elena Koycheva on Unsplash
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