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人生は続く ただSMAPがいない

2016年、多くの人がSMAPを論じ、複数の評論本も発行された。
その中でも最もしっくりきたのは、
乗田綾子さんが自分の人生越しに彼らを綴った
『SMAPと、とあるファンの物語
ーあの頃の未来に私たちは立ってはいないけど ...』だった。
彼女がSMAPファンだから、他の人よりも的確に彼らを語ることができた、ということではない。
そうではなくて、SMAPを語るとは、結局彼らの歩みと共に生きた自分を語ることなんだなと思った。

それは、SMAPである彼らにとってでさえそうだった。
SMAPは、彼らの同伴者でもあった。

2018年の年末、紅白歌合戦の歴史を振り返るNHKの番組で過去の紅白でのSMAPの存在がごっそり消された時、Twitter上には多くの怒りの声があった。
みんなが怒ったのは、彼らを無かったことにされたからだけじゃない。
彼らの音楽と一緒にあった、自分自身のかけがえのない歴史を蔑ろにされたからだ。

今、平成という時代の終わりにも数多くの振り返り番組が作られている。
この30年あまりの全ての時にいたはずのSMAPがそこに登場するのかどうか、そのことがいちいち話題になる。
この状況がそもそも異常だ。
歴史はいつだって力を持つ者の都合の良いように改変される。

あれから、彼らの人生も私たちの人生も続いてはいるけれど、ただSMAP がいない。
それを語るための媒介であるSMAP を失ったままで人生を語ることはできない。

彼らも私たちもSMAPを失うことで大切な過去を、
そして、SMAPと共に歩むはずだった未来を失っている。

今も彼らがそれぞれに頑張って、私たちにくれる幸せが溢れれば溢れるほど、彼らと私たちが失い続けているものを思って悲しみも深くなる。
彼らにも私たちにももう一度、SMAP越しの自分の人生を語らせて欲しい。

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