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その傷の責任 -無責任なSMAP報道

2020年年始早々、一つのネット記事が上がった。

記事は年末年始にかけての稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんの地上波番組出演や彼らのネット番組「ななにー」でのエピソードを紹介しながら、特にこれまでまことしやかに「不仲」が囁かれていたジャニーズ事務所「残留組」と彼らの関係性について、とりわけ香取慎吾さんと木村拓哉さんの関係性について
『結局、少なくとも個人間においては、世間で言われるほど両者の関係は悪くない』と結んでいる。

また記事内では
『事務所レベルはどうあれ、少なくとも個人間では世間で言われるほど仲が悪くないためです。あまり表立って情報が出てこないせいか、『SMAP』に関しては憶測が広まり過ぎています』
という「ジャニーズライター」氏の言葉が紹介されているが、これに思わず「おいおい」と突っ込んだ読者は少なくないだろう。
なぜなら「仲が悪い」という「世間」の見方を作り上げ、「広まり過ぎて」いる「憶測」の発信源となったマスメディアの責任を、あまりにも棚上げしているからだ。

2016年、SMAP解散を巡る報道の中で多くのマスメディアが、その原因を彼らの「不仲」にあると喧伝してきた。
長年彼らを見続けてきたファンがどれほどそれを否定しても、圧倒的な浸透力、影響力に叶うわけもなく、時にその声は、ファンゆえの思い込み、希望的観測として嘲笑の対象にすらなった。
それを今マスメディアは、まるで一般大衆が勝手に抱いた「憶測」「邪推」として片づけようとしている。

SMAP報道に関するマスメディアの変節はそれだけではない。

独立前はあれほどたくさんの地上波番組に出演していて、独立後も映画、舞台、CM、ラジオ、雑誌、新聞、インターネットテレビ、地方局のテレビ番組など、在京キー局以外の媒体に今まで以上に露出している3人が、キー局の番組に限って全く出演しない現状はおかしい。
視聴者でもある多くのファンは、そう声を上げ続けた。

しかしその声は、彼らが出演できないのは「視聴者ニーズとの兼ね合い」、つまりは「需要」がない彼ら自身の問題だと嘯く、テレビ局側の一方的な言い分によって真向から否定された。

実際には、2019年7月には公正取引委員会による「注意」が行われ、他方、芸能界では芸能事務所との契約解消後の一定期間芸能活動ができないという、問題のある契約が多いことも明らかにされている。
また、この年末年始の3人の地上波出演ラッシュについても、その縛りが終わったからとの理解がマスメディアの論調の中でも当然のことのように語られつつもある。
併せて、この年末年始の彼らの露出とその後の反響を考えるなら、従来のテレビ局の言い分は明らかに客観性に欠けていたことが証明されたことになる。

しかしここでも、テレビ局はかつての言い分の過ちを訂正することもないまま、今度は彼らを自社の番組に出演させることで大きな話題を作っている。
以前は言い逃れのために彼らを貶め、ファンが感じ取ってきた不当さを、まるで勘違いであるかのようにとぼけてみせたことには、当然誰も触れることがない。

もちろん、これからも芸能界で生きていく彼らが、自分たちを巡ってなされた無責任な報道、テレビ局の不当な扱いを赦し受け入れることは、正直なところ複雑な思いはあるけれど理解はできる。
そして彼らはファンが受けた傷のことも十分にわかっていて、常にそれに寄り添い、癒そうとしてくれている。

でもそれは、これまでマスメディアが私たちを、視聴者を、読者を、嘲笑し愚弄してきたこととは全く別の話だ。
それは「彼らに対する」ではなく、「(視聴者やファンである)私に対する」加害の責任の問題だからだ。

2016年の解散報道以降、とりわけ1月18日のスマスマ生放送で、テレビ、マスメディア、事務所は、私のような一観客を権力による支配と暴力の目撃者として勝手に巻き込んで当事者にした。
「不仲で解散」という、私たちの見てきた事実とは異なる「物語」を一方的に押し付けて、それを信じた多くの人たちを共犯者にしてきた。
その「物語」を受け入れずに抗う声を、愚弄し嘲笑することで脇へと追いやってきた。

そして今になって、その「物語」を自らひっくり返して見せる。
まるで他人事のように。
それはないだろう、と思う。

私はSMAPの解散を巡る様々な事柄を、人権や労働契約の問題として捉えてきた。
それはつまり、特に2016年以降、彼らに振るわれたのはある種の暴力であり、ハラスメントであるという理解だ。

この年末年始の3人の「地上波解禁」は、この問題の解決に向けた前進であることは間違いないだろう。
ただし、本当に状況が改善されたのかどうかは、3人の本業、つまり音楽や舞台や映画やCMの話題でも取り上げられること、そして在京キー局の番組レギュラーやドラマへの出演、さらにジャニーズ事務所所属タレント、特に中居正広さんや木村拓哉さんと3人との共演を見るまでは明言できないだろう。

しかし、たとえそれらの全てが実現されても、このまま「テレビに出られるようになって良かったね」で終わりではない。

なぜ彼らが、そしてファンであり視聴者である私たちが、これほどまでに傷つけられなければならなかったのか、その責任の所在はどこにあるのか、この傷に対して誰がどのように責任を取るのか。
このような事態が起こり得る構造とは何なのか、そもそも解散まで遡って本当は何があったのか。

もちろん、謝罪は欲しい。
でもその謝罪は、もう二度と同じことが起こらないための再発防止の確約がセットでなければ意味がない。それには当然、起こった原因やそれを防げなかった構造の振り返りと改善が必要になる。
ここまで到達して初めて私たちはもう二度と、彼らも私たちも傷つけられることはないという安心感を得ることができる。
それが本当の意味での解決になる。

しかし、実際にこの道筋を辿るのは相当に難しい。
彼らがテレビに出られるようになれば、多くの人は一応の解決だと考える。
それなのにその先を求め続けるなら、もう終わったことだからいいじゃないか、いつまで言ってるのとの批判を受けるだろう。

しかも、受けた傷がもう振り返りたくないくらい大きければ大きいほど、とにもかくにも被害が止む、一応の解決のその先へと進むことは、被害者にとっても負担になる。
きっとファンの中でも意見は分かれていくだろう。
「彼らは赦しているのだから」「せっかくまた出られるようになったのに文句を言っては彼らの邪魔になる」
そうやって自分の傷をなだめることもあるだろう。

それでもこのまま誰も与えた「傷」の責任を取らず、被害を引き起こした構造も問われないままなら、いつまた同じような被害が起こるともわからない。
彼らに起こったことが、そもそもずっとこうした状態を放置し続けてきた結果だとしたら、それはまたいつか、彼らの首を絞めることにもなるだろう。

あくまでも噂レベルではあるけれど、彼らの側についたために、局内で不遇を味わっている人たちもいると言われる。
そういう方々の地位の回復がなされるのか。
解散を巡って、まだまだ貶められたままの彼らの名誉と権利の回復はどうするのか。(そこには彼らが望めば「SMAP」を再開することも含まれるはずだ)

何より彼らと、彼らを応援し続けてきたファンたちが受けてきた傷に対しては、まだ何の手当ても謝罪もされていない。

だから、たとえ彼らがその傷の責任を問わなくても、私は問う。

私は、私の傷に正直でいたい。


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