「月曜22時スマスマの時間です。」ーファンが繋ぐ思いと支援

2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに端を発した福島第一原子力発電所の事故は、今なお「被災地」に大きな傷を残している。
震災直後、多くのテレビ番組が自粛ムードにあった中で、3月21日「SMAP×SMAP」(一部地域を除き、毎週月曜日22時放送)は急きょ予定を変更し、「いま僕たちに何ができるだろう」を生放送。
SMAPの5人は番組の中で率直に今すべきこと、できることを語り合い、寄せられるファックスの声に耳を傾け、歌声を届けた。
それ以降、毎週の番組のエンディング15秒間は、日本赤十字社や彼らが発起人に名を連ねて設立された東日本大震災復興支援財団の振り込み先とともに、復興支援への協力を呼び掛けるメッセージ、そして最後には「よろしくお願いします」と頭を下げる5人の姿が放送されるようになった。

当初は一定期間が過ぎれば終わるものと思われていただろうこの1コーナーは、震災から1年を経過してもなお継続され、2016年4月以降は、その月に発生した熊本・大分地震への支援金の呼びかけも加わり、結局、2016年12月26日の番組最終回まで途絶えることはなかった。

明けて2017年最初の月曜日、Twitter上には #スマスマ #SMAP #復興に向けて手を繋ごう  などのハッシュタグとともにファンによる多くの書き込みが並んだ。
「2017年1月2日月曜日22時スマスマの時間です。SMAPの思いを繋ぎます。」
そこには、5人が2011年以来続けてきた支援金への協力のお願いのほか、「被災地」の支援につながる商品の情報、ツイ主が実際に行った支援の様子などが綴られた。
例えば、東日本大震災後、地元の女性たちと東京のボランティアによって立ち上げられた南三陸ミシン工房(宮城県南三陸町)とのつながりなどもその一つだ。

一方、メンバーの一人である中居正広さんもまた、自分たちの思いを繋ぐかのように、2017年以降、自身のラジオ番組「中居正広 ON & ON AIR」で毎月支援の呼びかけを行っている。
「中居正広 ON & ON AIR」から復興支援のお願い

そして、この告知もまた月曜22時のツイートでファンによって拡散されている。
こうしたファンの活動は2019年8月現在も草の根で続けられ、最近ではファン以外の人たちの目にも触れる機会が増え、それをきっかけにして自身も呼びかけを始める人たちもいる。

ここまで書いておいて、実は告白しなければならないことがある。

私自身は当初、この呼びかけがいつまで続くか正直半信半疑だった。
続かずに先細りになるのも、かえって悲しいなあと思っていた。
しかし、それは完全に間違いだった。

例えば、解散前の37万筆署名やクラウドファンディングによる新聞全面広告、SNS連動番組での記録的なリアクション数や彼らが関わる商品に対する高い購買力のように、集中的にパッと目立つ結果を出すことは世間的にも知られているファンたちではあるが、このような地道な活動を続けていることは案外知られていない。
しかし、「忘れないで思い続ける」ということの難しさを思うと、この活動の尊さがしみじみと迫ってくる。

一方で、あの絶望的な2017年の始まりに、それでもまだわずかながらでも彼らのために、そして彼らが思いを寄せ続ける「被災地」のためにできることがある、ということが、どうしようもない喪失感と無力感にうちひしがれていたファンをどれだけ支えてきたことだろうとも思う。
復興支援は、彼らのためにするわけじゃないけれど、彼らもきっとこのことを喜んでくれる。そう確信できるものが、この活動を続けるファンの心には確かにある。

あの暴力的な生謝罪をさせられた2016年1月18日も、
解散を巡る様々な憶測が世の中を飛び交っていた時期も、
年末をもっての解散が発表された後も、
そして、一言も思いを伝えることができないまま終わった2016年12月26日最終回も、
変わることなく映し出された、復興支援のために頭を下げる彼らの姿、それこそが彼らの真実な思いとして伝わってきた。
そしてこの活動を繋いだ先に、預かっていたバトンを手渡すようにして、また彼らと共にこのことに取り組む未来が待っていることをファンは願い続けている。

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2019年8月25日。
2020年8月25日に開会式を迎える東京パラリンピックまで1年となったこの時、多くの関連記事が出された。その中で、稲垣吾郎さん、草彅剛さんとともに、日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)の応援サポーターや国際パラリンピック委員会(IPC)の特別親善大使を務める香取慎吾さんが語った言葉が強く心に残っている。

元々2015年にSMAPとして就任したパラサポの応援サポーターの働きは、「さあ、これから向き合っていくぞ、新たにどんなサポートができるのだろうかと考えていた時にストップしてしまった」。
それから3人がサポーターに復帰するまでの期間、多くのファンが彼らがそうしていた時と同じように、パラサポの様々な活動に支援を続けた。

結果的に、彼らが「応援したくてもできない時期」をファンが繋ぎ、
そして事実、まずは3人だとしても、彼らは帰ってきた。

だから、復興支援についても、きっといつかその時は来る。
そう心から信じている。

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