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飼い猫を亡くした話(5)

手術当日は金曜日だった。
普段も、休日前で落ち着かなかったりするのだけど、彼女のことを考えると、いつも以上に仕事が手につかなかった。
予定では、午前中に病院へ預けて、午後手術することになっていて、16時頃には結果が分かるはずだった。

偶然、翌土曜日は、僕の主催で親しい友人たちと久しぶりに会う約束があった。
結婚式と披露宴に来てくれたメンバーで、1ヶ月前から楽しみにしていた。
その事も相まって、午後は気持ちがぐちゃぐちゃだった。

16時を回った後は、妻からの連絡が気になりだした。
連絡はなかなか来なかった。
17時を過ぎ、17時半になっても連絡はなかった。
焦る心を抑えて、便りの無いのは無事の証、と自分に言い聞かせた。

定時退社することに決め、少し遅れたけれど18時半に車に乗り込んだ。
会社の駐車場でスマホを確認したら、妻からLINEの着信があった。

「彼女の状態は予想よりずっと悪かった」
「今日帰りに会ってきた方がいい」

目眩がするような感覚だった。
まさか、と思い、自分の想像力の無さに吐き気がした。
妻が、すぐには連絡出来なかったこと、事実だけを絞り出すように伝えてきたことが、重く現実を伝えてきた。

帰り道の途上、病院へ向かう車の中で、気持ちを落ち着けるのに必死だった。
まだ自分の目で確認したわけじゃない、確かなことはまだ分からないと。
同時に、明日の約束をどうするか、ずっと悩んでいた。
僕には数少ない、気の置けない友人たちで、ほとんど一年ぶりに会う人もいた。
みんな、忙しいなか都合を合わせてくれているのだ。
どうするか決めかねたまま、病院に着いた。

受付で話をすると、すぐに奥に通してくれた。
この病院には何度かお世話になっていて、獣医の先生の、にこやかながら濁さずハッキリ話をしてくれるところに好感を持っていた。

彼女は、医療用の特別なケージの中にいた。
目を閉じて、ぐったりと横たわり、震えるように弱々しく息をしている。
点滴と心拍をみるためだろう管が、彼女から伸びていた。
その姿を見て、胸がつまった。何かしてやりたいけれど、何も出来そうになかった。

先生が説明を始めた。
前と同じように落ち着いた様子で、淡々とハッキリと。
いつもより、声は熱を帯びていた。無念さが滲んでいるようだった。

彼女の腫瘍は、一つだけでなく何ヵ所にも転移していた。数が多く、さらには管膜に癒着していて、今回の手術では全てを取りきれなかった。
特に酷かったのは十二指腸で、腫瘍が臓器を覆ってしまい、機能不全になっていた。そのままだと壊死してしまうほどで、彼女が吐き戻してしまうのは、これが原因だった。
ここまで悪い状態なのは、先生にとっても想定外のようだった。

摘出した腫瘍を見て、言葉を失った。
それが、彼女から出てきたものとは、にわかに信じられなかった。
一緒に摘出せざるを得なかったのだろう臓器(それは脾臓と膵臓だと後に分かった)に、小指の爪ほどの大きさの腫瘍がいくつも、いくつもあった。
あまりに沢山で量が多くて、良性か悪性かなんてことは、もうどうでもよかった。

こんなに取ってしまって助かるの?
こんなに取ったのに、まだ腫瘍が残ってるの?
先生は説明を続けていて、その内容を頭では理解しているけれど、心が追いついてこない。

開腹してすぐに病状の悪さを理解した先生は、そのまま縫合してしまうことも考えたそうだ。
ただ、(一縷の望みとはいえ)回復の見込みや存命期間を伸ばそうとするなら、彼女が自力で食事が出来るようにしなければいけない。そう判断して、時間の限り腫瘍を取り除いたとのことだった。

それが正解だったのかどうかは分からない。
先生が全力を尽くしてくれたのは間違いなかった。
あとは、彼女の生命力次第だった。

ただ、摘出したものを見た後では、とても希望を持てなかった。
彼女は間違いなく、近いうちに亡くなってしまう。
数日後か10日後か分からないが、それは避けられないように思えた。

再び、彼女に目をやった。
あまりに痛ましく、はかなく見えて、直視できない。
彼女を撫でてあげたかったけれど、触れただけで、どうにかなってしまいそうで、何も出来なかった。

病院を出て、妻と親しい友人にLINEを返した。
明日の友人との約束は中止にするのが妥当だろう。
中止にするのを口惜しく感じてしまい、そんな自分が嫌になった。

家までの車中で、彼女を思った。
色々な感情がこみ上げてきて、ついに泣いてしまった。
涙がぼろぼろ出てきて、声を上げて泣きながらハンドルを握った。

帰宅した我が家は、ひどく静かに感じられた。
まだそうではないのに、喪に服しているような、そんな静けさ。
そんな中で、いつもと変わらない息子や猫たちに、違和感すら覚えた。

妻は、僕と同じように泣きはらした目をしていたけど、それを見なくても、これ以上ないくらいの悲しみが伝わってきた。
慰めるような言葉はかけられなかった。どうしても空虚に思えて。
ただ、「つらいね」「僕も悲しいよ」と言っただけだったけど、それで十分に分かり合えた気がした。

実際、二人とも、自分の悲しみと向き合うのに精一杯で余裕がなかったのだ。
その夜、会話はほとんどなかったし、必要以上に彼女のことを話題にはしなかった。
淡々と、夕食を食べ、息子を風呂に入れ、いつもより早く床についた。

息子を寝かせた後、布団の中で一人になって、彼女のことを考えた。
悲しみや後悔が次々に押し寄せてきて、堪えきれない。
感情の奔流をどうにか整えようと、音楽を聴くことにした。
寝しなに聴くことは、ほとんどないのだけど、この時は何かにすがりたい気持ちだった。
イヤホンから流れてくるメロディに心を委ねて、感情すべてを吐き出してしまいたかった。

涙をこぼしながら、繰り返し繰り返し、同じ曲を聴き続ける。
曲の合間にやってくる静寂の中で、時折、妻の部屋からもすすり泣く声が聞こえた。
長い夜になりそうだった。

3時間以上、そうやって過ごして、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
泣き疲れたと言ったほうが正しいかもしれない。
頭が、半ば麻痺したように、ぼんやりしていた。どうにか眠れそうだった。

イヤホンを外して、自然に眠りにつくのを待つ。
妻のすすり泣く声はもう聞こえなかった。
妻が眠れることを願ったけれど、それが難しいのも分かっていた。


しばらくして、突然、妻の部屋で電話が鳴った。
予感があった。
電話をとった気配があって、妻の、悲鳴にも似た驚きの声が響いた。
動物病院からの連絡に違いない。
予感は確信になった。
ぼんやりした頭で、彼女は、もう帰れないのだと悟った。
妙に落ち着いていた。涙はもう出なかった。
この数時間で、本当に感情を出し尽くしたのかもしれない。

妻は、今まで見たことがないほど動転していた。
動物病院からの電話は、彼女の呼吸が止まってしまったことを伝えるものだった。
蘇生を試みているけど、どうなるかは分からない。
危篤状態の連絡だった。

妻はすぐにでも飛び出して行きそうな勢いで、出かける準備をした。
急き立てられるように僕も準備をし、寝ている息子を抱えて家を出た。
近くに住んでいる義母も駆けつけ、4人で車に乗り込む。
時刻は深夜2時を過ぎていた。

病院に着くと、すぐに奥に通された。
奥の手術室では、先生が必死に蘇生を試みているところだった。
彼女は力なく横たわり、息も心拍も無いように見える。
妻と義母が、悲鳴を上げて駆け寄る。
ドラマのワンシーンを観ているようだった。

僕はその場にいるのが耐えられず、息子を抱いて待合室に戻った。
息子の世話をしなければいけない義務感がありがたかった。
手術室から漏れる、妻や義母が必死に彼女に呼びかける声をぼんやりと聞きながら、待合室でじっと座り続けた。

漏れ聞こえる声は、だんだんとすすり泣きに変わり、やがて、静かになった。
ドアが開き、妻と義母が待合室に戻ってきた。
二人の顔は悲しみでいっぱいだったが、義母の表情には怒りが混じっていた。

妻の胸には、毛布にくるまれた彼女が抱かれていて、安らかに眠っているようだけど、もう息はしていない。
辛い気持ちがこみ上げたが、溢れることはなかった。霞がかかったように心が鈍くなっていた。

そのまま、彼女と一緒に帰途についた。
車中でどんな会話をしたのか、もう覚えていない。ほとんど話すことはなかったように思う。

家に帰り、彼女を、柩代わりの段ボールに寝かせていれた。
段ボールが大好きだったのを思い出し、新しい段ボールを見つけると必ず潜り込んで具合を確かめる彼女の姿が、幻影のようにちらつく。
悲しみを感じたが、その時はそれを受容する余地がなかった。
彼女が死んでしまったのは理解していたけれど、実感が持てないままだった。

妻から、彼女の葬儀をするため、ペット霊園への連絡を頼まれた。
その手の事務手続きは、今の妻には辛すぎる作業だった。
二つ返事で引き受け、明日の朝すぐに電話すると約束して、寝室に戻った。

もう、早朝に近い時間になっていた。
床に入り、今度は、すぐに眠りについた。