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飼い猫を亡くした話(4)

息子が我が家にやってきて、半年が過ぎた。

僕ら夫婦は、子育てにだんだん慣れてきたけれど、ストレスは嵩んでいて、心身ともに余裕のない日々が続いていた。

彼女は不機嫌が常になっていて、たまに機嫌が良くても、すぐに腹を立てたり、昔に比べて落ち着きがなかった。

皆がよくいる一階の居間は、保護猫母の専用部屋と隣あっているので、それが原因のようだった。
いつも、部屋を隔てる引戸を引っ掻いてイライラしていたから。
あるいは、息子やモナカたちと一緒にいたくないのかも知れない。
彼女が腹を立てる理由は、いくらでもありそうだった。

正直に言えば、当時の彼女のことは、細かく憶えていないのだ。
息子の世話に追われて、彼女をゆっくりとみてあげられる時間はなかったし、僕も妻もストレスで磨り減っていて、彼女を気遣う余裕が持てずにいた。

そんな僕らの態度も、彼女を苛つかせる原因の一つだったのかもと、今になって思う。
我が家の猫たちの中で、一番人間のことをよく見ている子で、僕らに依存していた子だったから。

8月の終わりに、彼女は5歳の誕生日を迎えたけれど、何でもない一日として、その日は過ぎてしまった。

妻は誕生日が来ることを忘れていた。
僕は覚えていたけれど、頭のどこかに追いやってしまい、そのことを話題にしなかった。
数日後、妻に伝えた時、お互い「今年は、彼女への特別なお祝いは無くてもいいかな」となるくらい、それくらいになっていた。
かつては、猫用ケーキを買ってお祝いしたり(彼女は一口も食べなかったので翌年からケーキは無しになったけれど)、部屋を飾り付けたりしたのだけど。

僕も妻も「今年は息子のことがあるから」と、そう考えていた。
来年、盛大にお祝いしてあげよう。
その頃には、息子も成長して、彼女も慣れて、一緒にお祝いできるだろうと。

それから1ヶ月くらい経ち、風が涼しくなって秋めいてきた頃、彼女は珍しく風邪を引いた。

ひどい風邪で、2週間くらい鼻水でぐしゅぐしゅ。幸い、鼻水の他は大丈夫そうだったから、病院には行かずに過ごした。
風邪はその後、長女猫に移ったので、ウイルス性のものだと思えた。

これまでも、急に冷え込んだ時など、体調を崩したりすることはあったが、こんなに長い間というのは初めてだったから、治った時はホッとした。
昔なら、もっとずっと心配して、気が気でなかったろうけど。

風邪が治ったあとの彼女は、弱々しく見えた。
いつも堂々と歩いていた彼女(さながら小さな雄ライオンだった)は、どこかへ行ってしまったようだった。
おっかなびっくりと言った様子で、棚に飛び乗るのも覚束ないことすらあった。
「病み上がりだから」
「まだ本調子じゃないんだな」
そう思った。


はじめに異常に気づいたのは、妻だった。
彼女の体重が1kg近く落ちていた。

長引いた風邪の後遺症だろうか、そういえば最近、食事量が減っているようだった。
吐き戻しも増えていた。これは、彼女のストレスが原因のように思えた。以前にも同じことがあったから。
もともと少し太り気味だったから、僕はあまり心配しなかった。
ちゃんと食べるようになれば、自然に体重も戻ってくるはずだ。

けれど、数日経っても、彼女の吐き戻しは収まらなかった。妻は彼女を病院に連れて行った。

病院で診察を受けたが、はっきりとした異常は見つからず、点滴を打ってもらって、彼女は戻ってきた。
血液検査をするかどうか尋ねられたけど、それはせずに、しばらく経過をみることにした。

病院で診てもらったあと、彼女の食欲は回復した。吐き戻しもほとんどなくなった。
僕と妻は胸を撫で下ろした。やはり、風邪で体力が落ちたせいなのだろう。

彼女の態度が変わったのは、この頃からだったように思う。
今までも甘えん坊だったけれど、より顕著になった。

これまで、他の猫がいる前では、ほとんど甘えたりしなかったのに、そんなのはお構い無し。
抱っこして欲しくて、妻に始終くっついてまわる。
しかも、一度抱っこすると、ぴったりしがみついて、いつまでも離れないのだ。

妻は出来るだけ応えてあげていたが、常に彼女の望みを叶えることはできない。
僕や義母がいる時ならまだしも、息子と二人で家にいる時の妻は、育児と家事で手一杯だった。
時には、しつこく甘える彼女を、強い調子で嗜めて引き離さざるを得ず、彼女はしょんぼりと部屋を出ていくか、お気に入りの寝床で静かに丸くなるのだった。

この頃には、僕と彼女の散歩は、月に一度か二度くらいに減っていた。
とにかく息子の世話をして、妻を楽にしてあげなきゃ。
そう考えていたから、どうしても彼女は後回しだった。
彼女は、ほぼ毎日、仕事から帰ってきた僕を出迎えては「散歩に行こう」と誘ってくれたけど、今はゴメンね、と断り続けた。
散歩係失格だった。

11月に入って、彼女の甘え癖は更にひどくなった。
妻がそれを疎ましく感じるほどに。
彼女を甘えさせてあげられないのも心苦しく、妻と僕は相談して、彼女を里帰りさせてみることにした。

妻の実家は我が家のすぐ近くで、妻の両親も家にいることが多く、彼女と過ごすのは問題なさそうだった。
僕たちのお願いを、妻の両親は快諾してくれた。

久しぶりの故郷に馴染めるか、少し心配したけれど、彼女の里帰りはとても上手くいった。
彼女は一日中、妻の両親に甘えまくり、寛いで過ごしている様子が妻のLINEに送られてきた。

僕らは、安堵した。
いつまでかは決めていなかったけれど、しばらくは、彼女と我が家が落ち着くまでは、これで良さそうだった。

彼女の居なくなった我が家は、少し寂しくなったが、息子と他の猫3匹の賑わいで、それも薄らいで感じられた。
何より妻が楽になったのが、ありがたかった。
妻はよく、彼女を「他の子の4倍手間がかかるのよ」と評していて、それは多分に愛情に満ちた言葉だったけれど、息子がいる今は、それが時折負担になるのだった。

そうして、2~3週間が過ぎた。

冬の訪れを肌で感じるようになった頃、彼女は再び吐くようになった。
食事もきちんと摂れていないと、妻から伝え聞いた。
二度目の病院に、彼女は行くことになった。

仕事から帰ってきた僕に、妻が診察の結果を教えてくれた。
腹部に腫瘍が見つかった。このまま様子をみるか、それとも手術で取るか、決めなければならない、と。
妻の表情は不安げだった。

僕は少し驚いたけれど、すぐに手術しようと決めて、妻にそう伝えた。
深くは考えていなかった。
腫瘍があるなら、取り除かなければ全快は望めないだろう、そう思っての判断だった。
良性か悪性かは、取ってみないと分からないが、万一悪性だったら、早めに手当しなければいけない。

手術は数日後に決まった。
不安はあったが、悲壮感はなかった。
僕だけでなく、妻も、妻の両親もそうだったように思う。
みな、腫瘍は良性だと信じていた。
僕は、彼女が(紆余曲折はあれど)回復することを、漠然と確信していた。

彼女は、まだ若かった。
人間の年齢にすれば、僕や妻より若い。
そして、中身は昔と同じ、ワガママお姫様のままだった。
だからなのか、いつまでも、かつて無敵だった頃の彼女と変わらないのだと、そう信じていたのかも知れない。

手術前日の夜、仕事帰りに妻の実家に寄った。
彼女は少しやつれて見えた。
久しぶりに彼女を抱っこして、外に出た。
もしかしたら、これが最後の散歩になるのかも、初めてそんなことを考えた。
もう冬になっていたから、外は寒かった。
彼女も僕も、散歩を楽しめず、数分で家に戻った。