もう一つの「BLUE」
"出会い"
彼と出会ったのは「出会い」というほど、大層なものではない。
中学1年の夏休み前の期末テスト、
親の思い通りの成績にならなかった俺は、
地元につい先日開業した、個人経営の塾に入れられた。
正直とても嫌だったが、
この時の俺は、親に逆らう勇気なんてなかったのだ。
最近開業したということもあり、最初のメンツは4人。
3年生のKくんと、2年生のNくん、そして俺の同級生のYさん。
俺の地元は、
男子は特に年功序列みたいな格式が根強く残っている。
先輩には、先輩であるだけで絶対服従、そんなルールがあった。
だから俺はあまり先輩と関わり合いになりたくなんてなかった。
「挨拶だけはしっかりしておかないと…」
Kくんに先に挨拶を済ませ、次いでNくんに挨拶をした。
基本的にどんな先輩でも、
ぶっきらぼうに「おう」としか返さない返事。
この挨拶に一体何の意味があるんだろう、そう思っていた。
ところがNくんは違っていた。
「ああ、俺には他の人みたいに敬語じゃなくてもいいよ。」
普通に「こんな先輩がいたのか」と思った。
俺の通う中学校は、
2つの地域の小学校からなる小さな学校だ。
そのNくんは、俺が小学4年生の時に、同じ小学校に転入してきた人だった。
特に話したこともなかったし、転向してきたという情報しか知らなかった。
「敬語じゃなくていい」と言われても、
俺の地元は、先輩には絶対服従である。
「何言ってるんですか、N先輩」と返すに決まっている。
何だったら、コイツがダメ口でよくても、
それをコイツの友人である別の先輩が聞いたら、終わりだ。
頑なに敬語を使い続ける俺に、彼は
「いや、本当にやめて!同じ部活の後輩とかもタメ口だからさ」
と返してきた。
どうやら、敬語を使われるのがどうも性に合わないらしい。
先輩がそんなこと言うのなら、逆らうわけにはいかない。
それが彼との出会いだった。
"先輩"
時は流れ、季節は冬になった。
塾内の関係は良好で、
最初のメンバーである4人からは増えなかったけど、
みんな楽しくワイワイやっていた。
ちなみに塾は夕方までが小学生の部で、
そこからが中学生の部だ。
楽しくワイワイと言ったものの、
他人との距離の詰め方が苦手な俺は、
帰り道はいつも一人だった。
どこかに寄り道をして遅くなってしまっても、
親になんて言われるかわからない。
ただ、ある時どうしても肉まんが食べたくなって、
塾から少しのところにあるコンビニに寄ったときのこと。
Nくんが、コンビニでジャンプを読んでいた。
一応、挨拶をしに向かうと、とても驚いていた。
俺は、いつもまっすぐ家に帰っていたから。
「どうしたの?この時間にコンビニって珍しいね。」
「Nくんは、コンビn…
「あぁ、俺はまだ帰らないから。」
「そうなんだ。」
少し会話を交わしたものの、
別に他人のことに興味なんてない。
コイツが帰ろうが、帰りまいが、
俺には微塵も関係ないことなのだ。
「肉まん買って、帰るね。」
「うん、じゃあまた塾で。」
それだけの薄い会話の後、俺は帰路についた。
帰り道、俺は妙な感覚を覚えていた。
初めて夜のコンビニで買い食いをした…
なんという高揚感。なんという背徳感。
親に黙って悪いことをしている、そんな心地の良い秘密。
次の塾の日、またあの背徳感を味わいたくて、
塾の終わりにコンビニに行った。
今度は肉まんではない、背徳感を味わいに行くのだ。
コンビニに入ると、やっぱり本のコーナーにNくんがいた。
俺に気づいたNくんが、今度は先に声をかけてくる。
「お、もしかしてジャンプ読みに来たの?」
恥ずかしながら、俺はジャンプを読んだことがなかった。
それを伝えると、とてつもなく驚くNくん。
そんな人間がこの世にいるのか?!と言われた。
別にそれでどう思われようと、どっちでもよかったが、
心の中で(いい時間つぶしになるかも)と思った。
30分。
前回は10分だったが、
今回は30分の背徳感を味わうというミッション。
肉まんは2個買ったが、正直お腹がそんなに空いてるわけではない。
「Nくん、肉まん1個食べる?」
その言葉に、とても喜んだ彼の姿は、
特に他人に興味のない俺でも、違和感を感じるほどだった。
"家庭の事情"
別に聞いてもいないのに、彼は話を始めた。
父親とウマが合わないこと、
父親が夜から仕事に出るから、それまで時間をつぶしていること、
家族間で除け者扱いされていること、
お小遣いなんてもらえないから肉まんとかも食べれないこと、
もっといろいろ話してくれたが、正直、どうでもよかった。
この時、俺が思っていたのは
「よその家族のことなんて、どうにもできない」だった。
だけど、知らない話を聞くのは楽しかった。
30分じゃ短すぎるくらいに。
…気づいたら、1時間経っていた。
このままじゃ、親に殺されかねない。
「今度、塾終わったらさ。また肉まん食べる?」
彼が大きく頷いたのを見て、俺は家への帰路についた。
彼はいろんなことを知っていた。
流行っている音楽のこと、流行っているマンガのこと、
流行っている玩具、学校、世界、日本…
彼が自慢げにひけらかしてくる、彼以外の話は、
俺にとって「世界のすべて」のように滲んでいった。
彼は、俺にとって"世界そのもの"だった。
それから、塾の日は
毎回1時間ほど、コンビニでだべって帰るようになっていた。
俺の親は、その時間に終わると思っていたのか、
それとも知っていたのかわからないが、何も言われなかった。
相変わらず、彼の家庭の事情はどうでもよかったが、
「可哀想」という気持ちは出てきていたし、
コンビニの肉まんやおでんを奢ることなら、簡単だ。
何より彼の話は楽しいし、それを考えたら安いものだ。
一緒にいる時間が楽しい、そう思うようになっていた。
そんなこんなで4月になり、晴れて俺は2年生。
Nくんは3年生になった。
"部活"
俺は親に逆らえなかった。
親の操り人形だった。
親の思う通りの行動をしなければ殴られたし、
親の思う通りの返事をしなければ怒られた。
俺は父親に小学5年生から柔道を習わされていて、
塾とは別に週4ほどで柔道をやっていた。
中学2年生になると、
父親から「提案」という名の、強制指令が下る。
何でも、父親の柔道の後輩が体育教師として、
俺の中学に赴任してきたらしく、
管理下におくために陸上部もかけもちしろ、ということ。
俺は少し嫌だった。
だが、これは命令だ。
逆らえるはずがない。
二つ返事で陸上部に入り、グラウンドに向かう。
少し嫌だった、というのは、
陸上部の先輩は数が少ないということ。
そしてキャプテンは、子供の頃から知っているIくん。
そこまで無下にはされないだろう。
あと、もう一つ。
Nくんの部活は陸上部だったからだ。
なんなら部活終わりにも話ができるかもしれない、
それを考えると、差っ引いて「少し嫌」くらいだったわけだ。
陸上部は思っていたほど、悪いものじゃなかった。
キツいはキツいけど、何か青春してる感じには憧れていた。
案の定、Nくんとの距離はもっと近くなった。
部活終わりに、俺が柔道がない時は一緒に帰った。
Nくんは学校でも人気者だった。
性格が物腰柔らかだし、話が面白い。
いつも友人に囲まれているのを廊下で見かけてたし、
部活でもよくいろんな人と話をしていた。
俺は優越感だった。
そんなすごい人と仲がいいんだぞ、って思ってた。
そんなある日、俺の人生を大きく変えることがあった。
"硬まれ、コンクリート"
ある日、部活の休憩中に、
同級生の女子が、前日の歌番組の話をしていた。
そこに集まる俺と、ほか4〜5人。
中には、Nくんもいた。
俺は歌番組になんて興味がない。
音楽にも興味がない。
アニメの曲さえ聴けてればいいし、
デジモンの「Butter-fly」くらいでいい。
だから俺は会話に参加せずに、聞いてただけだった。
…が、その前日の歌番組はたまたま母親が観ていたので、
俺もそれなりに内容は覚えていたのだ。
「19の"果てない道"いいよね〜!」と、同級生の女子が言う。
俺は、あれっ?と思った。
たしか、昨日観てた番組では「果てのない道」じゃなかったか?
でも思った。
「別に興味ないから言わなくていいか」と。
そこに加わってくるNくん。
「あ、俺も19の"果てない道"好きだなぁ。」
驚いた。
こりゃ、Nくんも勘違いしている。
これは、どうにかしてあげないといけないと思った。
「あれ?果てのない道じゃないっけ?」
そう言った。
昨日観た歌番組では、確実にそう言っていたからだ。
すると、同級生の女子とNくんは言い返してくる。
「いや、絶対に"果てない道"だから!」
「"果てのない道"は絶対にない!"果てしない"道ならまだしも!」
2人ともめっちゃ言うじゃないか。
それだったら、こちらも宣戦布告だ。
ということで、
俺が次の休みの日にCDを買うことになった。
本当に興味はなかった。
音楽CDなんて持ってなかったし。
というか、CDプレーヤーも持ってなかったし。
正解は"果てのない道"だったわけだが、
そのことをNくんと女子に伝えると
「ふーん」って反応だった。
そうすると、CD買ったら聴いたほうがいいなって思ったんだ。
なんとなくだけど、
「歌番組の印象が残っていた」ということは、
いい曲だと思ったからなんだろう、と。
母親のCDプレーヤーを借り、物置きに行く。
隣の部屋だと、うるさいと怒られそうだったからだ。
豆電球の薄明かりの部屋で、CDを入れて再生ボタンを押す。
歌詞カードを取り出し、目を細めながら歌詞に目をやり、
軽快なドラムの音が始まる。
やっぱりテレビで聴いた通りのいい曲だ。
あっという間に終わってしまった。
隣にある歌詞はなんだろう?
「硬まれ、コンクリート」?
いや、メインの曲以外求めてないんだよな。
なんで、メインの曲以外に入ってるんだ。
1曲でいいから半額にしてくれよ。
でも、買ったからには聞かなきゃもったいない…
そう思ったから、聴いてみるだけ聴いてみた。
驚いた。
泣いているのか、俺は。
歌詞を読みながら、涙が溢れてくる。
歌詞のどの部分がいい、とかじゃない。
なぜか涙が止まらない。
音楽を聴いて涙が出る?
そんな気持ちの悪いこと、あるわけないと思ってた。
19(ジューク)。
いったい、どんな人達なんだろう。
そうだ、Nくん。
音楽に詳しいNくんなら、知っているだろう。
明日会ったら聞いてみよう。
"音楽"
「ジューク?もちろん知ってるよ!」
「昔のCDなら持ってるけど、貸そうか?」
翌日会ったNくんは、そう言ってくれた。
そして、新しいシングルとアルバムが発売されることも教えてくれた。
貸してくれたのは「音楽」という、ジュークのファーストアルバム。
聴き流していたら、ふと聴いたことのある曲が流れてきた。
それが
「あの紙ヒコーキ、くもり空わって」。
サビだけはこんな俺でも聴いたことがあって、いい曲だと思っていた。
アルバムを聴き終える頃、俺には一つの気持ちが湧いていた。
音楽をやりたい。俺もこんな人達みたいになりたい。
こう思ったら、伝える相手は一人しかいない。
Nくんだ。
その話をすると、Nくんは、
「俺は少ししか弾けないけど、親父のギターがある」
「俺も音楽好きだから、一緒に音楽やろう。」
と言っていた。
ちなみにギターを持ち出したことがバレると、ボコボコにされるとか。
そんなギター使えるわけない。
とりあえず、俺は思った。
来年のお年玉だ。
年が明け、親には黙ってお年玉でアコギを買った。
俺の父親もギターに憧れたことがあるらしく、
「弾けるのか?」と繰り返し聞いてきた。
いや、弾けないから買ったのよ。
そんなこんなでギターを買ったはいいものの、
教則本や教則ビデオは高い。
近所に教えてくれそうな人もいない。
そうなったら、着地点は一つだ。
つまずいた。
大きく。
Fコードなんて、できるわけがない。
そして、ギターを購入してから2ヶ月と少し…
俺は全くギターを触らないまま。
2人で音を合わせることもないまま。
あの時、2人で語り合った夢は、
結局夢のまま、夢でしかなかったのだ。
相方であるNくんは、中学校を卒業していった。
もともと出会った頃から、Nくんは頭がよかった。
彼が行った高校は、進学コースが創設されたばかりで、
かなりの倍率だったらしい。
朝から晩まで勉強漬け…
あんなに毎日会っていたはずのNくんと、
意図せず離れてしまう時がきた。
翌年に、諦めきれずに買ったギターで、
Fコードを克服した俺が、再びNくんに会うことになるのは、
これから約1年半もの時が経ってからだった。
続く