鋼鉄乙女のモン・サン=ミシェル戦闘記(65)【完】
「何が未来の武器、だ。ただの閃光弾じゃないか。ガリル・ザウァーのやつ」
そこでアミは大きく顔を歪めた。
ガリル・ザウァーがこんな事態を見越して、これをくれたわけではないと分かっている。でも──。
複雑な思いがあるのだろう。
ラドムは少女の涙を見ないように遠くのモン・サン=ミシェルに視線を投げた。
それはマグネシウムとアルミ片を利用した単純な造りの閃光弾であった。
転がった拍子に発動したのだ。
殺傷能力はないものの、強烈な光は瓦礫の僅かな隙間からもモン・サン=ミシェルの空を焼いた。
ラドムの居場所を告げるかのようなその光に、アミが慌てて石を除けて助け出してくれたのだ。
「あんなに岩や家の下敷きになったのに、骨も折れてないなんて。ラドムもタフだな。ホント、打たれ強い」
ケロッとした顔で少女はそう言った。
「……自分でもそう思う」
擦り傷、切り傷、打撲……外傷は著しいが、そのどれもが一週間ほどで完治するものだった。
微笑を張り付かせながらもアミはちらちらとモン・サン=ミシェルを見ては、地面に視線を落としていた。
「ねぇ、アミ。あの場所に帰りたい?」
問うと少女はふるふると首を振る。
「どこに行きたいか、分からない。でも、あそこに戻りたいとは思わない」
おそらくそれが本心なのだろう。
彼女にそう言われ、ラドムは自分もまた同じ気持ちなのだと気付く。
どこかに行きたいという気もないが、ポーランドに帰りたいとも思わない。
いつか帰ることがあっても、それはずっと先の話だ。
毎日のように殺されていく何万もの同胞達を思うと、ただ胸が締め付けられる。
「どうする? イギリスに行くか? それともアメリカ?」
その二国の名しか知らないように、アミはしきりにその国名を口にした。
「どっちでもいいよ」
イギリスでもアメリカでも、別にこのままここ(フランス)に残ったって構わない。
ただ……戦いたい。思いはそれだけだった。
モノのように壊(ころ)されていく同胞達を、一人でもあの地獄から連れ出したい。
この手に力がないことは分かっている。
ならばせめて、誰かに──世界にこの惨状を訴えることができれば。
そう告げると、アミはきょとんとした顔で慌てて笑った。
「そ、そうだな。その通りだ」
「……分かってないだろ、絶対」
苦笑して少年はモン・サン=ミシェルから眼を逸らす。
そんな彼の腕を、いきなり剛力がつかんだ。
「痛っ!」
凄まじい悲鳴を軽く聞き流して、少女はニマッと笑った顔を少年に近付ける。
「な、何だよ。気持ち悪いな」
「わたしも戦ってやるぞ。わたしの方がずっと強いからな!」
「やっぱり分かってない。アミは先に自分の腕を何とかするべきだろ。それに……」
でも、言葉は嬉しかった。
ありがとうと言いかけた口は、柔らかなものでがばっと塞がれる。
「うぐっ! な、なに? アミ?」
「しっ!」
少年の顔面を張り倒す勢いで、アミの掌底が口を押さえつけたのだ。
怪力に目を回すラドムの前で、アミは切羽詰った表情をつくった。
建物の中でガタガタ音がする。次いで女医の大きな声。
「おい! ラドムにアミ、どこ行ったんだ? 物置の修理と買い物がまだじゃねぇか」
窓から死角になるように玄関の陰に移動して、アミが怯えたようにぽつりと呟いた。
「あの人、すごい人使い荒い……」
「しょうがないだろ。世話になってんだから」
ラドムのもっともな意見に、彼女は黙って自身の手の平を突き出す。
黒く汚れた手は肉刺だらけで血が滲んでいた。
「今まで何と闘っても、平気だった。でもここ数日でわたしの手、ボロボロになった」
泣き出しそうな顔で手の平を擦っている。
「そりゃ気の毒に」
たまらずラドムは噴き出した。
イギリスもアメリカもフランスも、今は遠い話──。
人使いの荒い女医からほんのひととき姿を隠すため、ラドムはアミの手をとった。
そろりと家の裏手へと回る。
「何だ、何だ?」
「しーっ!」
猛獣から身を隠すようにくっついて、ぎゅっと目を瞑るふたり。
おかしいな、この辺にいたのになんて言いながら女医が去っていく気配に大きく息をつく。
「ちょっ、もう! 離れてよ、アミ」
額をこそばす彼女のやわらかな息遣いに気付いたラドムは、少女の肩をぐいと押しやった。
このままの距離では激しく打つ心臓の音が聞こえてしまう。
「何だ何だ、来いと言ったり離れろと言ったり」
不服そうに唇を尖らせるアミ。
艶やかに濡れる薄桃色に見とれたときのことだ。
「交際は許さんぞ」
不意に背後から響いた地獄のような低音にラドムは悲鳴をあげた。
シュタイヤーだ。
いつもの無表情ではない。明らかに物騒な目つきで、アミの兄は不機嫌を表しているではないか。
「お前たちはまだ子どもだ。いいな、交際は許さんからな」
「べ、べべ別に僕はそんなつもりじゃ……」
「駄目だ! 絶対にダ・メ・だ!」
何だこの男。話が通じないじゃないか。
頑固おやじよろしくムスッと黙り込んでしまったシュタイヤーを、ラドムは睨みつける。
そこに割り込んだのは銀髪の少女であった。
ふたりの間に漂うギスギスした空気をものともせず、鈍感な少女は朗らかに笑う。
「何の話をしてるんだ、シュタイヤーは。ヘンなヤツだな」
黒衣の青年の肩から力が抜けたのが分かった。
ラドムと目を合わせると、初めて見せる情けない表情で苦笑する。
「あっ、ケンカか? ケンカは良くないぞ」
ホラ、握手しろよ──居丈高に命じられて、男ふたりはおずおずと手を差し出した。
「痛ッ!」
握手にかこつける形で親指の関節を押さえつけられ、悲鳴をあげるラドム。
逆襲だ。皮膚に刺されとばかりにギリギリと爪を立てる。
地味に睨み合うふたりの背をポンと叩いて、アミはたちまちご機嫌な様子だ。
シュタイヤーの苦笑につられて、ラドムも手から力を抜いた。
「よし、仲直りだな」
アミが笑う。
天真爛漫な笑顔には敵わない──そう、これからもずっと。
鋼鉄乙女のモン・サン=ミシェル戦闘記・完
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