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大好きなうつわ屋さんが終わって、考えたこと。

やめるときはバッサリいくのが気持ちいい。
少しウジウジしたり思いをめぐらせてしまうと、後ろ髪引かれて決断できなくなったりする。

桜の花のように、パッと咲いて、パッと散る。

私のお父さんが事業をやめたときもそうだった。あまりにも突然のことで、家族みんな、目をまん丸くしながら見守った。でも結果、よかった。さみしさは残るけど、悲しむ時間は少なかった。傷が深くならないうちに、みんな笑顔でバイバイできた。

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先週、私は東京へ行ってきた。
おおよそ2年ぶり。すこし前まで住んでいた街が、今では遠い昔話のように感じちゃうのだから人生って不思議なものだ。よく通っていた場所にいって、懐かしい気持ちになった。これもまた、いつも不思議だなぁと思うのが、そのときに思い出すことって楽しかったことよりも、しんどかったことの方が少しだけ多い。そうそう、こんな気持ちでこの道を歩いたなぁとか、こんなことを求めてこのお店や人にたどり着いたなぁ、とか。

千歳船橋にある「器MOTOさん」が、まさにそんな場所だった。

73歳の店主、鎌野 かまのさんがやっている、うつわ屋さん。私がうつわ好きになるきっかけになったお店だ。このお店から、私のうつわ好きも、書くことも、全てが始まった。東京に住んでいた頃は、週末になるとこのお店に足を運んで入り浸っていた。店主の鎌野さんと、ずーっとおしゃべり。うつわのことから始まって、お互いのことについて、それはもう色んな話をした。鎌野さんが丁寧に選んだうつわや家具に囲まれた空間が心地よすぎて、何時間でもいられた。色んなことがあって、誰にも会いたくなかった時期にだって、この場所にだけはいつも行けた。自分のことを話さなくていい、自分で絶望と感じることに真正面から向き合わなくていい。好きなことだけ喋ったらいいし、喋らなくてもいい。その中でふと、悩みのかけらを話したりすると鎌野さんはいつも「大丈夫。心には力があるから」「思っていれば叶うから」という言葉をかけてくれた。その度にお守りとして持ち帰ったし、いまも大事にとってある。

そんな器MOTOさんや鎌野さんのことを伝えたくて、約2年前にインタビューをさせてもらった。

実はこのインタビューを実現するまでがおそろしく大変だった。

鎌野さんは少し頑固な性格だから、「いやだ」「恥ずかしい」「私なんて」と言いながらやんわりと断り続けられた。こっちもだんだんやけになって、「書きたいです」と真顔で言い続けた。それで何回もしつこく説得して、やっと書けたのが、このnoteだった。

初めて、note公式のおすすめ記事に取り上げてもらい、いつも以上にたくさんの人に届いた。うれしくてすぐに報告しにいくと、鎌野さんは困り顔で「こんなおばあさんの話なんて、誰も興味ないわ」と言う。鎌野さんは店主なのに、シャイで後ろ向きがちな性格だから、「お店やめようかしら」「私には無理」と毎回弱音のようなことを吐く。その度に、「やめないでくださいお願いします」「このお店好きですから」というのが、私と鎌野さんのお決まりのやり取りだった。


そんな器MOTOさんが、本当にお店をやめることになってしまった。



こんにちは。

お久しぶりでございます。
お知らせです。

この度、諸事情により
年内にて閉店することになりました。
オンラインショップも終了させて
頂きます。

お客様
お付き合いくださった作家さん
ギャラリー様
ホームページ、インスタグラムを
ご覧くださった皆様

本当に有難うございました。
心より感謝申し上げます。

MOTOは終わりますが
この場所をお使い下さり展示会をという
お声が少しございます。

そのような折りには、勝手ながら
このig上でお知らせさせて
下さいませ。

皆様のご自愛をお祈りいたします。

誠に有難うございました。

鎌野明子


薄々気づいてはいたけれど、いつもの調子でいやいやながらも続けてくれるだろうと思った。でもやっぱり様子が違う。お店もずっと休業しているし、このままやめてしまうかもしれないと思った。だから、急いで東京に行った。いつもの道を歩きながら、色んなことを思い出した。お店までいくと、鎌野さんはいつも通り迎え入れてくれた。変わらずに、うつわが気持ちよさそうに並び、お花がうれしそうに咲いていた。それから鎌野さんとは、お茶を飲みながら2年分の話をした。

この日は実質、私が最後のお客さんになってしまったようだ。欲しいうつわを選びながら、色んな気持ちが込み上げてきた。私にとっては、この場所から全てがはじまって、でも終わってしまうのであって、また私が新しくお店をはじめるのであって..。側から見れば、ドラマチックな展開に映ってしまうようだけれど、これは決して臨んでいないことだった。ただ事実、こうなってしまった。人はこういう状況になると、「あぁ、なんということだ!」と天を仰ぎたくなる気持ちがよくわかる。なんということだっていう独り言を、もう何回言っただろうか。

そもそも私が奈良にいったきっかけも、器MOTOさんの影響が大きい。
この場所でうつわに出会って、陶芸家さんに出会って、人生のステージが大きく変わった。

まだ東京でバリバリ働いていた頃のある日、このお店でふと、奈良っぽい情景をみた。仕事を続けようかどうしようか、激しく悩んでいるときだった。この場所で、これから生きていくべき道を見つけたような気がして、それからすぐに縁あって移住を決めた。

奈良へ行ってからも、鎌野さんとはよく連絡をとった。

一番お世話になったのは、家具選びだ。東京に住んでいた頃に愛用していた家具は全部捨ててきちゃったから、食器棚も机もカーテンも、いちいち写真を送ってアドバイスをもらった。自分には指標がなさすぎたから、鎌野さんのアドバイスは羅針盤のように、やさしさく導いてくれた。
とはいえ、経済的なこともあるから一気に揃えることはできなくて、本当に少しずつ、お金を貯めながら好きなものを集めていった。そんな私も最近ようやく独り立ちできるようになったようだ。鎌野さんのアドバイスなしで自信を持って選べるようになってきた。自分の好みが少しずつ分かってきた。最近、友だちが家に遊びに来て、「居心地がいい」と言ってくれることが増えてきた。鎌野さんにもようやく、「あなたはセンスが良くなったから、大丈夫」と言われるようになった。2年経って、自分の感性を信じられるようになってきた。

奈良にきてから色んなうつわ屋さんに行ったけれど、器MOTOさんほど心地いいなと感じるお店はいまだに見つかっていない。お店に行くといつも、色々なうつわたちと目が合う。みんな生き生きとしていて、どれを連れて帰ろうかと悩む時間は毎回楽しくて、ずっといたくなるお店。週末になると行きたくなるお店。店主とおしゃべりしたくなるお店。心がおだやかになるお店。帰る頃にはなぜか元気になるお店、だった。

それが、近くにないのだ。


だから、私は奈良でうつわ屋さんをやろうと思った。私が体験したあの心地よさを、奈良でもつくりたい。その心地よさを色んな人と一緒に味わえたらうれしいし、今はなにより、自分がそういう場所を欲している。

うつわ屋さんをやることを決めたとき、私は一番に鎌野さんに電話をした。そうしたら鎌野さんは、「あら、いいじゃない」と言ってくれた。「私なんかよりあなたがやるほうがずっといいわ」とも言った。「そうですか」と言いながらいつものやりとりをした。そうして、いくつかのバトンを受け取った。

器MOTOさん、鎌野さん、本当にたくさんの思い出をありがとうございました。またこれで、奈良でうつわ屋さんをやりたい気持ちが強くなったような気がします。


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