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何度も見たい映画、 『あん』。徳江の生き様が私に教えてくれたこと。

映画『あん』を見た。もう何回目だろうか。この映画に出会ってから、ことあるごとにあんを見ては明日からまた頑張ろうと力をもらっている。

「ことあるごと」とはたいてい落ち込んでいるときだ。自分のやりたいことややるべきことを見失いそうになってむしゃくしゃしているときに、映画でも見よっ!と思う。そういうときに部屋を暗くしてミニシアター仕様であんを見始める。

そうして、毎回同じセリフ、同じ場面で泣いてしまう。

そのときによって感じ方は微妙に違うものの、教えてくれることは同じで、いつも髪を強く引っ張られて現実世界へ戻される感じだ。そういう映画って、きっと色んな人にそれぞれあるのだろう。

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出展:『あん』公式Facebook

この映画について、今回noteに書いたのはやっぱりどこかで感想を残しておきたいと思ったからだ。それはこの映画の良さを他の人にも知ってほしいという「伝えたい」気持ち以上に、書くことでこの映画に出てくる徳江(とくえ)の人生を「なぞりたい」と思ったからだ。なぞることで、自分の中に彼女の価値観を染み込ませたい。強引な言い方になってしまうけどそうさせたくて、このnoteは書いている。

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あんは、ドリアン助川原作の小説が河瀬直美監督によって映画化された作品。物語の舞台は、街の小さなどら焼き屋「どら春」だ。

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出典:映画『あん』公式パンフレット

店長として、どら焼きを焼く千太郎(永瀬正敏)。
どら焼き屋をやっていながら、彼は甘いものが好きじゃない。借金を返済するために雇われ店長として仕方なくお店をやっている。
こんなテンションだから、お店は特別ヒットするわけでもなくお客さんはまばら。毎日が単調に過ぎていく日々。

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出典:映画『あん』公式パンフレット

そんな中、甘いにおいに誘われて現れたのが 徳江(樹木希林)だった。徳江はアルバイト募集の張り紙をみて、「ここで働きたい!」と千太郎にお願いする。

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出展:『あん』公式Facebook

このお願いの仕方がけっこうしつこくて、

漢字ではこう書くのよ、わたし。吉井徳江っていうの。
時給、200円でいいわ。

と千太郎に猛アピール。

それでも、千太郎は断り続けた。どこの誰ともわからない、いきなり現れた76歳のおばあさん。この小さなどら焼き屋で、戦力になれるはずなんてないだろう、と。

ところがある日突然、「あんこつくったの。食べてみて」と徳江は千太郎にタッパーを差し出した。そこには彼女が炊いたつぶあんがぎっしり。そのタッパーを千太郎は一度ゴミ箱に突っ込むが、やはり気になって取り出し、あんこを指ですくって食べてみた。そのおいしさに衝撃をうけた千太郎は、翌日からコロッと態度を変える。

それから、徳江はどら春でアルバイトとして採用されることに。千太郎とあんづくりに励み、徳江のあんこはおいしいと評判になり一気にお店は繁盛する…というストーリーだ。

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出典:映画『あん』公式パンフレット

私的にこの映画の一番の見どころは、はじまって冒頭30分ほどで披露される徳江のあんづくりのシーン。もう、ここだけでもいいからこのnoteを読んで少しでも興味がわいたらぜひ見てほしいと思う。

朝の5時頃からお店が開店する11時まで。約6時間かけてあんこをつくるシーンには徳江にとっての「すべて」が込められている。
小豆を選別するところからはじめて、「ゆっくりそぉっと」を合言葉に、小豆に火を通していく。じっくり煮ては、たっぷり時間をとって蒸らし、また煮る。その工程をなんども繰り返し行うので、あまりに時間が長すぎて千太郎は嫌気がさしてしまうほど。

そしてこの工程のなかで一番注目すべきは、徳江の小豆への向き合い方。ただ黙々とあんこをつくるのではなく、小豆と会話をしながらつくるのだ。

ブツブツと何かを言いながら、キスしてしまうんじゃないかと言うくらいまで顔を近づけて小豆の様子を見る。
「がんばりなさいよ!」と蓋をあけて声をかける。

畑で育ってこの場所まで来てくれたことへの「ありがとう」と「おもてなし」の気持ち。そのすべてがわずか5分のこのシーンには注がれている。

徳江は50年もの間、あんこをつくり続けてきたと話していたけど、ただ「キャリアが長いからおいしいあんこがつくれる」というほど単純な話ではない。小豆に向き合うその姿勢と気迫が並々ならぬもので、見ていて圧倒されてしまう。

そうしてできたあんこは艶があって、おいしさが溢れた佇まいをしている。画面越しに小豆の香りと蜜と絡まった甘みが伝わってくるようだし、それがあたたかい生地にパフッとサンドされてどら焼きとなる映像はもう幸せの絶頂。「私もサンドされたい!」とか無駄に思ってしまうほど、顔が自然とほころぶ。

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出典:映画『あん』公式パンフレット

徳江がつくったあんこのおかげで開店前にたくさんのお客さんが並ぶようになった。「あんこ、おいしくなったね」と色んな人から言われるようになり、どら春に、本当の意味での春が来た瞬間だった。

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出展:『あん』公式Facebook


こんな感じで前半はテンポよく進んでいくが、やがて大きなテーマにぶつかることに。それは『ハンセン病』だ。徳江はハンセン病元患者だったのだ。
(「元」と書いたのは、ハンセン病は今は完治する病気になっているから。)

徳江の手にはこぶや炎症がある。全体が赤く腫れあがっているような、異様な見た目。指の関節は変なところで折れ曲がっていて「自由が効かない手」と誰もが見てすぐに分かる。彼女も自分の手を人に見せたくないのか、隠すようなしぐさを所々で見せる。

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出展:『あん』公式Facebook

やがて、徳江がハンセン病を患っているというウワサは広がってしまい、客足はピタリと途絶えてしまう。店のオーナーは千太郎に「解雇しろ」と詰めより、徳江は空気を読んでみずからお店を去ることに。

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出典:映画『あん』公式パンフレット

徳江は東村山市にあるハンセン病療養所で50年以上もの間、ずっと暮らしてきたのだった。国の隔離政策で若いときに親元から離れ、世間からの冷ややかな目にさらされながらひっそりと暮らしてきた。
それが映画の後半で、徳江の口からポツポツと語られるようになるのだが、その事実を千太郎がすべて知ったときはすでに徳江がお店を去ったあとだった。

どら春で働いていたときの徳江の様子は、あとから考えてみてもやっぱりちょっと異質だったと思う。例えばこんな様子があげられる。

・小豆だけではなく色々な自然物に話しかけていた。小鳥や桜の木、お月さま…。徳江が言うには、向こうから話しかけてきてくれるんだそう。

・どら春で働けることが決まったとき、徳江はとてもうれしそうだった。うれしさをどう表現したらいいかわからなくて、もぞもぞしながら少女のような満面の笑みで、興奮気味に早口で話していた。

・働きはじめた当初、奥にある薄暗い厨房でひっそりとあんづくりに励む徳江だったが、千太郎から接客を許されたときとてもうれしそうだった。店頭に出て女子高生の話を聞いたり、少し会話に入ってみたり。国語の先生になりたかった、と夢をボソボソと語ったりもしていた。

・小鳥をみて、「自由でいいなぁ」とつぶやいていた。お月さまをみて願うように語りかけていた。小鳥の声や風の音、気配を感じて、身体をめいいっぱい使って、その心地よさを吸収していた。

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出典:映画『あん』公式twitter

どの瞬間も、徳江にとっては「特別なこと」だった。今まで限られた場所で、限られた人との交流しか許されなかった彼女にとっては「普通の生活」が叶ったひとときだったのかもしれない。

徳江はやがて、療養所でその生涯を遂げてしまう。その生きた痕跡は、余韻を引きずるように映画の最後まで色濃く残っていく。

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出典:映画『あん』公式パンフレット

徳江が大事にしていたことー
これはハンセン病元患者だからたどりついた価値観なのか?と考えると決してそうは言い切れないと思う。差別偏見にさらされ、隔離され、社会から断絶される。この事実は壮絶で、同じことを経験していない私が同じ立場でものごとを考えようとしても到底無理だと思うけれど、私と徳江に共通することを探ったら「生きる世界は同じ」ということだった。
四季の移り変わりを感じながら、同じ世界で同じ時間が与えられている中で、そこにあるものたちとどう向き合っていくか。

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私は大学生の頃、ハンセン病に関わる学生NGO団体を立ち上げ活動をしていた。この映画で出てくる東村山市にあるハンセン病療養所にも行ったし、中国の奥地にある療養所へもいき、寝泊まりしながらトイレやキッチンをつくったりしていた。

実は、はじめて私がハンセン病元患者に会ったとき強烈に差別偏見をしてしまった。顔が変形している人や指・手足が無い人たちが「きょうこ!」と言いながら大人数で迫ってくる。今はうつらない病気…と分かってはいたけれど、こわかった。あまりにもこわすぎて夢にも出てきたくらいの大きな衝撃だった。
ただ、その療養所で寝食をともにし暮らすなかで私たちはだんだんと「家族」になっていった。私にとってのおじいちゃん、おばあちゃんが中国にたくさんいる。国境を超えて、家族や親戚がたくさんできてうれしい。
大学を卒業する頃には、そういう感覚になっていった。

短い間だったけれど、彼らは私に生きていく上で大切なことをたくさん教えてくれた。それはまさに、この映画で徳江が示した生き方そのものだった。

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出典:映画『あん』公式パンフレット

だから私はこの映画をずっと見続けると思う。コロナがあけて、外に出れるようになって色々な場所へ行けるようになっても、必ずここに立ち戻ってきたい。

最後に、徳江がどら春を去るシーンを紹介したい。
ちいさく動揺しながらも、いつものように割烹着を脱いで畳んで、しっかりお辞儀をする。細い声で、不器用な笑顔をこぼしながら千太郎に「じゃ」と最後の挨拶を告げる。

そのときのことを、千太郎を演じた永瀬正敏はインタビューでこう話していた。

徳江さんが僕に挨拶をして帰る場面がありました。どら春から去るシーンです。監督から「徳江さん、これが最後になるかもしれないんですよ」と一言あると、まあ、それはそれはもの凄い表情をされるわけです。もの凄いと思うのは、僕というか、永瀬正敏としての感想ですよね。でも、それは一瞬でしかなくて、心の底から千太郎にならせてもらえるんですよ。その表情ひとつだけで。
あのとき、徳江さんの顔、挨拶をされる姿を見ていたら泣きそうになって、必死で堪えました。カットがかかって、横にいた監督を見たら、涙を流されていて。その場にいたスタッフ全員が目を潤ませていました。それくらい大きいんですよ、樹木さんのお芝居は。



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