田中泰延さんが教える「書く」ということ
明日のライターゼミ第4回目の授業は田中泰延(ひろのぶ)さんだった。
私は、泰延さんのことを何となくtwitterでフォローしていたものの、知っているつもりで全然知らなかった。
ごめんなさいという気持ちを込めて、私みたいな初心者でも泰延さんのことが分かるように、受けた授業をレポートしてみます。
まず、「田中泰延」について調べてみた
今回の授業のテーマは「物書きは調べることが9割9分5厘6毛」。
noteにかくにあたって失礼のないよう、まずは泰延さんのことを調べてみた。
田中 泰延(たなか ひろのぶ)は、日本のコピーライター、ライター。
電通に24年間勤務した後、2016年に退職し、2017年から「青年失業家」と称し、フリーランスとしてウェブ上を中心に活動している。また、「ひろのぶ党党首」とも称している。 (wikipediaより引用)
電通を退職なさって、青年、し、しつぎょうか?
調べてみたら、本人のコメントが見つかった。
わたしは47歳にして無職になった。
なったわけだが、なにかカッコイイ言い方はないのか。
無職という響きにはなんともいえないペーソスがある。
世界大百科事典 第2版によると、
ペーソス【pathos】「そこはかとなく身にせまる悲しい情感」
引用:『世界大百科事典 第2版』(1998年)日立デジタル平凡社
とある。
ペヤングソースやきそばはおいしいが、ペーソスはさびしいのである。
かっこいい無職の呼び方をいろいろ考えてみた。無職も呼び方次第でペーソスを除去できるのではないか。会社に行かなくて済む時間をぜんぶそれに当てて、考えた結果がこれだ。
青年失業家。
(街角のクリエイティブより引用)
ぼーっとしている私は、パッと見て普通に「実業家」かと思っていた。
なんだかっこいい感じの部類の人なんだ、と思っていたけど昨日ご本人の口からきいてはじめて知った、「失業家」という事実。
「ひろのぶ党」にも興味があって調べてみた。
電通に入ってきたロシア系のミロノブくんというのがいて、そのミロノブくんが僕も「ひろのぶ党」に入りたいと言ったことで一気にワールドワイドになって。今では政権奪取を目指すことになりました。
(アドタイより引用)
正直、これでは全貌がよくわからない。
もう少し読んでみると、党紀があるようで、
1つめ、夏場のクーラーの設定温度は22度
2つめは、バスタオルに柔軟剤はかけない。
3つめはわからない。
わからない。
調べている時点で、?なところが多いのに、引き込まれる微弱な力を感じるのはなぜだろう。
前置きが長くなりましたが、これから授業の内容をレポートします。
4,000字の課題をかくということ
今回の課題は、映画「スリー・ビルボード」の映画評論を4000文字以上で書きなさい、という内容だった。
4,000文字、予想していた以上にすごく時間がかかり、途中でやめたいと何度も思った文字量だった。
泰延さんは、授業の冒頭でこの課題を出した時点で君たちはえらい!とたくさん褒めてくれた。えらい!というスライドを何枚も作ってくださり、ついにはニューヨークシティマラソンのスタートラインに書いてあるコピーで「you already won」「スタートラインに立った時点で君たちはもう勝っている」と褒めちぎってくれた。これだけで書いてよかったなと思った。
そして、泰延さんは今回の課題は「随筆」と言っていた。
随筆とは? 物書きで大事なのは定義をすること
随筆を定義してみようという話になった。
随筆とは事象と心象の交わるところに生まれるもの。事象とは現実の出来事、心象とはこころに浮かぶ像やイメージのこと。
事象よりの文章はジャーナリストで、心象よりの文章は小説家や詩人になる。書いていて大事なのは、『自分が今何をしているかを忘れないようにすること。』今回の課題が「随筆」であれば事象と心象が入っていなければいけない、ということから授業はテンポよく展開されていった。
そして、随筆とは「なにをかいたか?」ではなく、「誰がかいたか?」が大切だ、ということ。いきなり、心象寄りに個人の感想を言い始めてもだれも見てはくれない。
だからこそ、自分を売り込まなければいけない。そのためには「調べること=事象」がとても大切で、それを武器に持論を展開していくのがいいのだということだった。
自分を売るためには他人はどうでもよく、自分に向けて書くという話もとても興味深いポイントだった。
最終的には、「あなたのことを知りたい」と言われたとき、ミックジャガーのように説明出来るのが理想的とのことだった
↓
そして、話は書くことについての本題へ。
書くというのはこういうことだ、というのを5つのポイントでまとめてくれた。
(1)読み手として読みたいものをかく
例えば、映画をみて色々な人の感想がある。でも、その中で私が一番感動したポイントを書いている人がいない・・
⇒じゃあ私がかく?と、自分のために書くのだ。
(まさに今回のレポートがそうかもしれない)
(2)最も重要なのは”ファクト”
ここは結構熱めに話していた印象。
調べ方が大切で、とくに一次資料(公式資料)にあたるのが重要。調べたことを並べていけば読者が主役になるというという話だった。
やりがちなのは、まず自分が納得していないのに書き始めてしまうこと。中身は空っぽのまま作り上げてしまうとそれは読み手にも確かに伝わってしまうよなと思った。
(3)動機をたいせつに
映画をみた、本をみた。書こう!と思ったときに感動が中心になければ書く意味がなくなってしまう。つまらない、わからないことも感動の一つで、深堀りしていくと見えてくる世界がある、というお話。
今回のスリービルボードは、まさしくつまらない、わからないだったけど、「なぜつまらなく、わからないのか?」という部分を私は深掘りせず、感動に持っていけなかったなと反省した。
(4)これだけは伝えたい!という想いをさらけだす
長い文章を書くのは思考の過程を披露すること。思考の過程とは、たくさんある情報の中で、「これは伝えたい」と思うものを拾いあげてトピックにすること。
(5)書くということはどう生きるか決めること
今はライターにとっては披露する場が多くて、読みたい人よりも書きたい人が多くなっている。その中で書くということは生きる幅を狭める事であり、人間最後の職業。
つまらない人間は内面を語る人で、少しだけ面白い人は外にあることを語る人。いいことは内面ではなく、外面と内面の間にある!という話で締めくくられた。
古典的な匂いを感じた、(5)の部分
泰延さんの話で一番印象に残ったのが最後の(5)の部分。
例えば和歌にある、「月がきれい」は誰かを思って書いていること。
それは外面にある「月」を内面の「好きという気持ち」に映し出しているシンプルなものだけど、ストレートに「好き」というより、そこには浮き彫りにされた生々しく伝わる「好き」がある。書くということは、日本人のおおもとに染みついている情景から心情を語る部分に由来しているんだ、と思い、これから書くにあたってのヒントをもらえたのがこの授業を受けた一番の収穫だった。
5人の受賞作品がすばらしかった
30人ほど提出された課題の中で、5人の優秀作品が発表された。泰延さんがコメントをつけて良かった部分をピックアップして解説してくれた。
まず、驚いたのが同じ「観る」でも視点が全然違っているということ。
私はいつも映画を見るとき「ぼーっ」と「なんとなく」観る。こんなのだから、後で感想を聞かれても楽しかったーなど、嘘くさい空っぽなことしか言えないのだ。今回もそうで、気になった部分をメモしていたが誰でもわかるような事象ばかりのメモ書きになってしまっていた。
5人の内容には、映画に出てくる役者が読んでいる本や、植えられている花、テレビの画面の内容など、「え?こんなところを観てたの?」と驚く視点が盛りだくさんだった。そのヒントから、監督の意図を読み取り持論を展開していくすばらしさ。観るってこういうことなにか、と頭をガツンとたたかれたような感覚で、もう、本当に感動しました。
最後に、こんなにエンターテイメント性が高い授業は初めてだった
今まで、小中高大、予備校と色んな授業を受けてきた。
面白い先生もいたけど、こんなにツボをおさえて攻められた授業は初めてだった。
授業の冒頭に「仮想通貨」のスライドが出たと思ったらその話は全くスルーで、歩き方がテッドのようだと自虐ネタを取り入れ、愛を込めて関係者をディスり出す。下ネタを挟んだり、オリジナルステッカーを出してスマホに貼ったら電波が入るようになる、頭痛も治ると言い出したり。おもちゃ箱のようにポンポン出てくる言葉のすべてが面白くて、終始真面目な話が入ってこないことが多々あった。今回、このnoteでまとめることで、もう一度授業の内容に向き合えたから2倍楽しめてよかった!と思って満足しています。
最後に、冒頭で紹介された古賀さんのことば。
「記事にしようとすると10倍理解できる」
はぁ。すっかり、田中泰延さんのファンになってしまったかもしれない。
私もいつか「ひろのぶ党」に・・。
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