『潜在的ニーズの発掘』は、マーケティングだけじゃなくて教育にこそ必要なんじゃないの?という話

「最近の学校現場あるある」として、「コロナで行事予定が定まらない」問題があると思います。例に漏れず、私の学校もそうです。

宿泊行事を変則的なタイミングでいれることになると「その行事がなんのためにあるのか?」を組み立てるのが難しくなりますよね……

たとえば春の遠足は「生徒の親睦を深める→学級作り」「共同生活の基本を学ぶ」があり、運動会や音楽会は、「協力して物事を進める能力を育む」「自発的に身体能力や音楽に親しむ心を育む」などなど。色々あるわけです。

でも、コロナで予定がずれ、ある程度学年で親睦が深まり分別もついた生徒が行く「宿泊行事」には、なんの意味があるんでしょうか?思い出作りなら、宿泊行事以外でもできるのでは……?

私は、「生徒・保護者から思い出を作りたいという要望があった」というだけで行われる、行事ありきのイベントが量産されるのは、教育的にいかがなものかなぁと思う派です。

「趣味で旅行に行く」とは異なる意義が、確かに「学校でいく宿泊行事」にはあります。
たとえば学習指導要領には「歴史学習」「平和学習」なんてのが実施理由に書いてありますよね?

もしこういうトピックを生徒が自発的に学びたいと言い出したら、それはすっごく意識の高い少数派でしょう。
でも、そういう子はマイノリティなんだから、やらなくていいじゃん、は乱暴すぎやしないでしょうか?


……みたいなことを会議後に考えてたら、上司もそのことを話したかったらしく、結構時間を取って議論して貰えました。

その時心に残ったのが「学校は顕在的ニーズにばかり気が向いて、潜在的ニーズを見ていない」ということ。

「消費者に、何が欲しいかを聞いてそれを与えるだけではいけない。製品をデザインするのはとても難しい。多くの場合、人は形にして見せてもらうまで自分は何が欲しいのか わからないものだ」

スティーブ・ジョブズ

ジョブズの言葉を借りれば、何が欲しいかを聞いたものは顕在的ニーズ、形にして見せて貰うまで欲しいとわからないものは潜在的ニーズです。

学びとは、それによって自己が変わることといいますが、特に重要なのは、今まで見えていなかった景色が見えるようになる=「視座が上がる」ことだと私は考えています。(これも上司の受け売りですが……)

だから、潜在的ニーズが満たされ、何が欲しいかわからなかったところから、何が欲しいか分かるようになった状態は、まさしく「視座が上がった」=充実した学びがあったということなのだと思います。そういう、潜在的ニーズを満たす教育は、学びたくて入る塾とはちょっと違った、学校にこそ求められている機能だと感じています。 


……ただ、生徒の欲求に従うのではなく、生徒が今まで求めていなかったものに感心を持たせる、って、ハイパー難しい作業っていうのは分かってるんですよ……

修学旅行の歴史学習、平和学習のタームで充実した学びを得たと言いきれる人が、どれだけの割合いるかという話です。


そこで上司がもうひとつ言っていたのは、「教育は生徒のUX(ユーザーエクスペリエンス)をデザインするという視点が抜けている」ということです。

生徒がどんな体験をしたら、どんな学びを得るか?「教員がやりたいこと」「教える内容」にフォーカスしすぎて、生徒が感動し、学びを得るまでの体験がどのようなものか、考えられてないのではないか、と。

これを宿泊行事に置き換えると、学習のタームが形骸化しがちなのは、生徒が本当に学べるような体験としてデザインされてないから、こうなっちゃってるんじゃないの?ってことです。とりあえず景勝地いっとこ!みたいな。


というわけで、教員である私たちは、もっと生徒目線で、それも、「生徒の言うことを聞く」ではなく、「これをしたら生徒はどんな体験をして何を得るかか」から考えるべきなんだ、という学びを今回得ることがでしました。


もしここまで呼んでくださった方で、教員が学ぶ潜在的ニーズとかUXについてお薦めの本とかありました、教えて貰えると幸いです。

以上!



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