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孤独が好きだけど、繋がりたい。

先日、成田悠輔氏がオールナイトニッポンで一度だけパーソナリティを務める回がありました。最後のエンディングで、私が感じていたことと似たようなことをおっしゃっていたので、よくある話なのかなと思いました。

10代の頃、1か月誰ともと話さない時もあった、と成田氏。

「最近では2,3日人とはなさないことがあると、だんだんヘンになってくる。自分自身はそれでもOKだと思ってるんだけど、身体がおかしくなってきて関節とかこわばってくるし、何かに対するリアクションも鈍くなる。自分は孤独が好きだとおもっているのに、人間の身体、動物としての自分は孤独を求めていないということに気がついた。自分が頭で考えている ”孤独でありたいという自分” と、自分の身体が表現してしまうコミュニケーションがほしい、または孤独からのがれたい、孤独はストレスだ、という間で矛盾やジレンマみたいなのがでてくる。孤独問題とコミュニケーション問題は結局人間の行きつくところなのかなと。」

リスナーの方とのやり取り終了後、こんな感じのエンディングでの話だったと思います。

私自身はコロナの前と生活はほとんどかわっていません。もともと友達は少ないし、しかもみんな遠方に住んでいます。一人でいるのが好きで苦にならないし、ひきこもりがちで3日間一歩も家から出ないとかザラにあります。

家族がいるので全くだれとも会話しないという日はあまりないので、完全な孤独というのとは少し違いますが、頭では孤独が嫌いじゃないと思っています。

私の場合、成田さんのパターンと似てるけどちょっと違っていて

久しぶりにお誘いをうけて数人で集まろうとなったとき、あんまり気がすすまなくて行くまではめんどくさいなぁと思うんですよね。でも会ってみると楽しかった!となるんです。不思議なんですが。

そのたびに自分は本当はもっと人(家族以外)とコミュニケーションをとりたかったのかなとか、コミュニケーションをとることによって共感しあう感じとか繋がってる感がほしかったのかな、と振り返ったりしてました。

でもそれならなぜめんどくさいとか、一人でいいやと思うのだろう。矛盾してるよねって。

頭と身体は繋がっていると思っていたので、この現象は何なのかと。

また別のある日。1日誰とも話さなかった日の夜、コンビニに行ったんです。普段店員さんに話しかけることなどないのに、その日はちょっと話しかけたりしたんですよね。なんでかわからないけど。

おじいちゃん、おばあちゃんがよく話しかけてくるのってこういうことだったのかと気が付いたんです。多分、そのおじいちゃんおばあちゃんたちは一人で暮らしているんだと。

身体が孤独に対してストレス反応を示すということは、孤独が生命をもおびやかすやっかいなものだということなんだろうと思います。

イギリスでは孤独担当大臣という役職も作られていることから、孤独が社会問題になるくらい深刻な状態であるということなのでしょう。

ITやエンタメの技術が発達し、一人でいて困ることはほぼ何もないぐらいの現代でも、人とコミュニケーションをとりつつ繋がりながら、人とかかわることで心身ともにバランスをとっている生き物なのかもしれません。

そういえばこのnote を始めたきっかけも、ネットで人と繋がってみたいと思ったことが発端だったということを思い出しました。

孤独にならないよう、身体が仕向けてくれたのかもしれません。


#今こんな気分
#孤独
#コミュニケーション
#人と繋がる

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