長年の謎が解けた日

 「どうしてあなたは他の人と同じことが出来ないの?」
これは私が幼い頃、周りから言われていた言葉だ。
なんで、私は周りとは違うんだろう。
私だって自分自身が不思議だった。
時間管理が出来ないし、わざとかと思われるくらい音に敏感に反応する。
そしてスケジュール変更が苦手で、思ったことをすぐに口に出してしまう。
自分が興味持ったことや好きなことは時間を忘れるくらいずーっと没頭できるけど興味ないことには1分も集中力が続かない。
おまけに人が話を集中して聞くことは出来ないし、叱られるとなんでその人が怒っているのか、何を伝えたいのかも理解できない。
もし、その最中に気になる物が出来たり、「トイレに行きたい」「お腹すいた」なんて感じようものならその感情だけで脳内が支配される。

その姿をずっと近くで見守ってきた母は私が小学校6年生の時に私にこう告げる。
「あなたはアスペルガーの傾向がある」
それは病院で言われたわけでもなく、発達専門の先生から言われたわけではない。ただ、母の独断だった。
アスペルガーの正体は「発達障害」だと教えてもらった。そのとき、私は「障害」というキーワードに拒否反応を示してしまい、その事実をなかなか受け入れることが出来ずにいた。
そして時間をかけてゆっくり母から「発達障害は悪いことじゃない」ということを教えてもらった。
当時、私は小学校でいじめにあっていた。そのまま地元の中学に進学したら余計に私は自分の心を閉ざしてしまうと思い、自ら中学受験を志した。
 その決断が良かったのか中高は最高の仲間に出会い、「発達が人より遅い自分」を受け入れながら過ごしていた。
 数年後大学を経て社会人になった私は2年目にして「アスペルガー」の症状が顕著に目立つようになり、気になり始めた。もしかしたら同僚にも迷惑かけてしまっているかもしれないという不安がよぎった。
ちなみに職場環境はいたって良好だし、仲間は優しい人が多い。
上で述べたように小6で「アスペルガー」の傾向があるとは言われていたが、それは一人だけの独断だった。
そこで私はちゃんと専門家に見てもらいたい、と思い精神科を受診することを決心する。
精神科というとメディアや世間の影響からかネガティブなイメージが知らぬ間に植え付けられているせいか、診療室に入るのに勇気が必要だった。
問診票で、発達の検査や相談をしたいという旨を書き、しばらくして診療室に案内された。
そこにはお医者さんではなく心理士と呼ばれる人がいた。
心理士さんはとてもやさしい雰囲気の人だった。
心理士さんからは、小さい時の行動、特徴、それによって何か特別な事件などはあったか、何が好きか、何が嫌いか、今の悩みは何かなどが聞かれた。
聞かれたとおりに答えると心理士さんは一言も漏らすまいと必死にメモをしていた。

またしばらくロビーで待たされたあと、精神科の先生がいる診察室に案内される。
先生は心理士さんがメモしたものを見ながら「こういうことが苦手か」「こういうことが起こると混乱しないか」「もしかしてこういうことをしてしまったことはないか」などを聞かれた。驚くことに先生の質問には全てyesとしか言うしかなかった。まるで先生に心を見透かされているようで内心驚いていた。
質問が一通り終わると先生は「やはりアスペルガーの要素が強いね」と言った。生まれて25年にして正式に「自閉症スペクトラム障害、アスペルガー」という診断が下された。
私は安堵していた。だが、それも束の間、先生の診断はそれで終わらなかった。先生は「あともう一つ」と付け加えた。
追加で下された診断は「ADHD」だった。先生によると私の場合は「アスペルガーとADHD」の2つの要素が非常に強いということだった。
アスペルガーは正直、自分では自覚していたものの、ADHDは意外だった。
ADHDの傾向を説明を聞くとほぼ自分にあてはまることだった。

2023年6月。この世に生まれてきて25年。長年の謎が解き明かされた。
名探偵コナンでも謎を明かすのにここまでかかった事件はないだろう。
不思議だった自分が少し理解できた気がした。そしてより自分を理解し、受け入れて行くための一歩になった気がした。
I respect myself, I love myself。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?