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【10年ぶり】空き家になった実家に行ってみた

50代半ばにもなりますと、皆さんなんらか介護的なことに直面されてると思います。自分の職場の同世代もそうです。地元(北海道)の同級生で末の子だったりする場合は40代から始まってたりもします。

自分ちはもともとベースの家族がバラバラ散らばっており、距離を言い訳にそれぞれ勝手にしっかりやってるものと見做してここまできてます。
近頃はどうもそれがズルに思えて、しっかり介護に向き合ってる方々には全く頭が上がりません。

というわけでぬるい話ではありますが、これの続きになります。

正子さんは可愛いものが好きなので年末にクリスマスカードなど送ってみました。その返信が一週間後くらいに届いたのでレスポンス早くてビビりました。そして前の手紙よりかなり解読不能でした。

字を書くのも困難なのに急いで報せたい何かがあるのは伝わります。北の冬の高齢者独居の厳しさがメンタルを攻撃し認知に悪影響を及ぼしてる予感がしました。

正月休みに隣の隣の県に住む兄の家に突撃して作戦会議です。
もういい加減、北の高齢者二人(正子さんと母)の様子を見に行かなければなりません。一人で行くのは正直ブルーなので兄を巻き込みます。まあ兄は実家の名義人ですし、兄の若いお嫁さんも気にしてるので合意に至りました。しかし兄妹ともそれなりブルーな案件であるには違いなく、及び腰で日程は未定です。

ちょうどその後なんだと思います。北では正子さんに事件が起きてました。
胃に穴が開いて入院したそうです。知ったのは4月でした。

追加事件も起きました。
入院してる間に水道管が凍結し便器が割れたそうです。北国あるあるです。

寒冷地用水道設備「水抜栓」


その工事が終わるまで正子さんの帰宅は延期になりました。
病気はよくなってるので特養にショートステイです。

兄と自分には直ちには連絡来ませんでした。
実は正子さんには70代の妹さんがおり、管轄のケアセンターとやり取りし実働してくれてたのです。

正子さんの夫であった自分の亡父からは、「正子には兄さんがいっぱいいるけど全員老人だから面倒かけられないんだ」と聞いてたので、てっきり「末っ子」と思い込んでました。その妹さんは全盲じゃないけど目が不自由なので、父が敢えてカウントしてなかった模様です。

水道とトイレの工事が終わり正子さんは帰宅。しかし部屋に入るなり「やっぱり私戻るわ」と宣言し特養に帰ることになったそうです。それにまつわりケアセンターの方がかなりアタフタしたようです。それが恐らく2月か3月の出来事かなと思います。

そして5月終わり、東京ではこういう状況でした。

滞在中から子供ロスの予感がきてたので、気をそらすべく「やるべき案件」を記憶から掘り起こしてました。仕事的なタイミングもよく、夏前で飛行機もまだ安いです。「ほら今なら北海道この値段だよ」とスカイマークのリンクを兄に送ると「じゃあ行こうか」と。

こんなふうにボヤボヤしてたので後に衝撃でしたが、正子さんの特養への正式入居はなんと兄と自分のサイン待ちでした。血族二親等の妹さんがいても、姻族一親等の自分らのほうが責任者?として法的に上だったようです。(ちなみに姻族一親等でも養子縁組してないので相続関係はありません)

遅くなってしまいましたが、車椅子の可愛いおばあちゃんになった正子さんは我々と会って嬉しそうでした。昔懐かしい話をひとしきり聞いてたら昼ごはんの時間になり、「また来ます」とお別れしました。

翌日は、自立型老人ホームにいる母のところへ行きました。コロナ以降、めっきり自立が怪しくなっているため、母は「追い出されてしまう」と疑心暗鬼になっています。これまたその不安ストレスが認知に悪影響を及ぼしてるようで、誰がいつ来たとか帰ったとかの記憶が急激に曖昧になりました。料理のような高度な段取りが必要な作業はとっくにできなくなっています。

しかし「自立」の定義はまずまず緩いようです。自分で買ってきて食べられたら上等、買えなくても配食サービスでやっていければそれもよし。というわけで帰省中に認定があり、母はまだ居られることが確認できました。

「もっとわからなくなるまでは慣れた人たちと一緒のほうがいいし頑張るわ」だそうです。目立ちたくない性格のせいか隠し事(最近こっそり自室で転んで肋骨折れたっぽい)をするタイプなので心配です。遠いけど、もっと顔出すようにしたいです。

出張買取¥3000

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