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草木染めと霊性

「草木染め」と聞いてどういう印象を覚えるだろうか。

個人的には「草木から色を抽出し布に浸して染めるやり方である」とか、「色の耐久性は低いが何となくエコなイメージがある」とかぼやーっとした印象しかもっていなかったし、草木染めは一般的に趣味か、何か伝統的な工房で行われている製法であって、あまり関りがなく、一部工業化された「草木染め」もちらほら見受けられるが、何か「商業化されたエコロジー」のイメージが強く、特に興味は持っていなかった。

私は現在ヨーロッパで草木染めのアトリエに通い勉強をしている。
そこは西洋人でありながら80年代に単身日本に渡り、日本の工房で染めを学んだアーティストの女性の小さな小さなアトリエである。
ある時、彼女は本棚から一冊の日本の本をとり出してきた。
「日本古代の色彩と染」という題名の非常に古い本で、魔導書のようなオーラを放っていた。

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この本を読むと、日本古代の「染める」という行為が非常に精神性や霊性と繋がっていたことがわかる。

例えば、著者によると、生地は織った人間の念があるため、10日間清らかな流れの水に晒さなくてはいけないそうだ。これを怠ると決して古代の色のように美しく染まらないのだという。

また、古代から日本では植物には木霊や精霊が存在する、と信じられてきた。
それらが植物の持つ力にも反映されていて、強い力を持つ植物は、染色の力を持つと同時に薬としての効能も持っており、実際に染色用に用いられていた植物の多くが、薬草として、現在でも用いられている。

また、古代の染め師は染色用の植物を探すところから行っていた。
その際に植物の中にある精霊を感じ取るための、ある種の霊能力が必要であった。染めの工程は自然との共同作業であり、祈りを捧げることがとても大事であったという。

また、万物は「火 ・ 水 ・ 木 ・ 金 ・ 土」の5つのエレメントで成り立っている、という五行思想と呼ばれる世界観があるが、これら全ての要素が草木染めの工程の中にも存在する。
「土」に根を張り育った「木(植物)」の色が「水」と一緒に「火」で熱することによって抽出され、布の中に浸透し、「金(塩やミョウバンのような鉱物やアルミニウムなどの金属)」による媒染によって布地に定着する。

植物を煮出した液は、ある温度で一時間も布を付けると染料は生地に吸収されるが、しっかりとした色を出すためには、同じ生地を何十回も染め付ける必要があるのでその都度新たに植物を煮出す必要があり、多くの植物や水やエネルギーを必要とする。

化学染料によって誰でも好きな色を纏うことができるようになった現在では、この染色された「色を纏うこと」自体にラグジュアリーな感覚を覚える人はいないと思うが、染色が植物と切っても切れないものであった頃は、それは、限られた人のみに許された究極のラグジュアリーだったようである。

写真技術が登場してから、絵画が絵画としての新たなアイデンティティーを模索していったように、化学染料が登場した後の、現代における草木染の新たな意義がきっとあるはずだと私は考えている。

それは化学染料の真似をすることではなく、声高にエコロジーを叫ぶわけでもなく、大地と直接つながる色の持つ力そのものの中に見出せるのではないだろうか。




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