見出し画像

#5【アルバム紹介⑤】🇧🇷 Edson Frederico – Edson Frederico E A Transa

Edson Frederico – Edson Frederico E A Transa

アレンジャーとしての功績が大きい鍵盤奏者『Edson Frederico』の1stアルバム「Edson Frederico E A Transa」をご紹介します

「Edson Frederico E A Transa」は、1975年にRCA Camdenからリリースされ

2000年以降には再発盤として、ブラジル名盤コレクションで有名な日本国内のEssência BrasileiraからCD、ポルトガルの有能再発レーベルMad About RecordsやオランダのMusic On VinylからLPで再リリースされています

ジャケット写真に写っている通り、「Edson Frederico」は鍵盤奏者で、アメリカFender社のローズピアノで演奏していたそうです

ローズ・ピアノ
(Fender Rhodes "Silvertop" 73 Stage Piano)

ローズピアノは、電気式鍵盤楽器の一種で、盤内のh字型金属片をハンマーで叩き(一般的に言われるピアノは弦を叩く)、発音&共振させピックアップ(小さいマイク)で拾って、電気信号としてアンプへ送るもの

ローズピアノ内部

ローズピアノの前身として「Pre-Piano」があり、前線に立つ兵士たちを慰安する目的で、1940sにハロルドローズが航空機のパーツから作ったそうです

のちに、1959年にFender社と合弁事業を開始し、1974年頃まで「Fender Rhodes」の名の下で使われています

Rhodes史の詳細は、Rhodes社公式サイトで

ローズピアノ奏者である「Edson Frederico」は、1965年にリオデジャネイロ連邦大学国立音楽学校に入学。同年にVinicius de Moraes & Elis Reginaのショーでピアニストとしてキャリアをスタート

1970年〜1974年にTV TUPIで、ピアノとアレンジを担当

1974年に超大手TV Globo(世界2位商業テレビネットワーク)のアレンジャーとして働き

テレビ番組「Sandra & Miéle」の音楽監督や「Malu mulher」、「Carga pesada」のサントラを制作していきます

1975年には、今回紹介するアルバム「Edson Frederico E A Transa」をリリース

このアルバムに参加しているメンバーがとにかくすごくて、os gatosのDurval FerreiraやWilson das Neves。Tamba TrioのBebetoとHélcio Milito。Laércio De Freitasのアレンジャーを務めたLaércio De Freitas。バランソの王様Orlann Divoたちがバックにいる心強さ

Edson Frederico E A Transa収録曲

シングル盤にもなっている4曲目「Garota de Copacabana」をはじめ、サンバ調の7曲目「Bobeira」を挟むメロウな6曲目「Ligia」と8曲目「Sacode Carola」と9曲目「sambane」。のちのOrquestra Metalúrgica Dragão de Ipanemaに通じる2曲目「o gas」の陽気さ。とにかくローズピアノが素晴らしい11曲目「A peteca na mao da portela」。締めの12曲目「Tema de Heloisa」。どの曲もいいですね

1stアルバムリリース後は、毎年のようにアレンジャーとして活躍していきます

1976年には、ブラジルの山下達郎ことDjavanの1stアルバム「A Voz, O Violão, A Música De Djavan」から1曲目「Flor De Lis」でアレンジを務め

1977年には、リオデジャネイロのカネカで開催されたショー「Tom - Vinicius - Toquinho - Miucha – Gravado Ao Vivo No Canecão」のアレンジを担当

そして1977年以降の数十年間は、畑違いのミュージカルオーケストラの一員として「ピピン」「エビータ」「オルフェウ・ダ・コンセイソン」のピアノやアレンジャーも担当し

1978年にはブラジルロックを牽引していくJorge Benの「A Banda Do Zé Pretinho」をアレンジャーとして活躍

1979年には国内に留まらず、アメリカのジャスシンガーSarah Vaughanの「I Love Brazil!」を全面的にアレンジャーとしてサポート

その後も精力的にアレンジャーとして多くのアーティストをサポートしつつも

1980年にはOrquestra Metalúrgica Dragão de Ipanemaを結成しナイトクラブで演奏

1993年にはパラナ交響楽団を指揮するCNTプログラム「Clodovil em Noite de Gala」(PR州クリチバ)の音楽監督に就任

2000年にはTV Globoの番組「MPBの特別100年」でアレンジを担当

2011年、肺関係の病気で死去(64歳)

これまで関わってきた作品はどれも彼らしさがあっていいですよね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?