見出し画像

家の冷蔵庫が空っぽだと知って悲しむ人がいる

彼女は困り果てた様子で少女に手を合わせ、家の冷蔵庫の中を補充してほしいと頼んだ。
「わたしの葬儀が終わったら、母が下宿先に行く。その時冷蔵庫が空っぽだと悲しむとおもうの。だから、お願い。」

これは韓国ドラマ「トッケビ」の第5話でのワンシーン。
幽霊が視えるこの少女は、彼女の頼みをきいて冷蔵庫いっぱいに食べ物や飲み物を補充する。そしてその冷蔵庫を見た母親が少しホッとしたような表情を浮かべて涙を流す。(BGMには『 And I'm here』。このドラマが描く『死』という場面では必ずといっていいほどこの曲が流れている。象徴的なBGMだ。)
冷蔵庫の彼女は、ドラマの本筋とは直接関わりのない人物なのだけど、このシーンが無くてはこんなに深みのあるドラマにはならなかったのでは…と感じるほど印象的なシーンになっている。

この第5話を観るたびに、自分の母親を思い浮かべる。(”観る度に”というのは、文字通り観る度になのだけど、好きなドラマは何度も繰り返し観る習性があり、トッケビにいたっては7回は通して観ている。)

母親を思い浮かべる理由は、うちの冷蔵庫が空っぽだからだ。正確には、ほぼ、空っぽだ。入っているのは、いつ開けたのか覚えていないジャムの瓶と、ゴマ油。自炊をしないので食材のストックは必要ないし、調味料もほとんど持っていない。だけど、お米だけは必ずキッチンの片隅に鎮座している。1度も切らしたことがない。

実家は専業農家で、母は頻繁にお米や野菜を子どもたちのところに送る。電話がくると必ず聞かれる「お米はまだある?」
1度に届く量は5キロ。過去に2年間断り続けたことがあって、普通に食べてなかったからなのだけど、いくらひとり暮らしとはいえ5キロのお米を2年かけても食べきらない娘をかなり心配していたようだった。なので最近は週に1~2回、1合炊いては食べるようにしている。お米を催促するのが親を喜ばすことになるのだから、これはわたしの責務として果たさねばならない極めて重要な使命。こないだ届いたのは新米だから、特に美味しい気がする。

話を戻すと、トッケビに限らず韓国ドラマでは「食べること」をとても重要なこととして描いている。もちろん生きてくために食事は必ず必要なことだと理解はしているけど、ドラマに「食べたくなかったら食べなくていいよ」という人物は出てこない。少なくとも、わたしが観た中でそのようなセリフは聞いたことがない。

みんな、「それでも食事はしなきゃ」と言う。
ちょっとくらい食べなくても平気なのにね。っていうのはわたしの考えだけど、、きっと食べることと生きることを重ねているんだろうとおもう。
生きる=食べるだとしたら、冷蔵庫に食べ物を入れてほしいと頼んだ彼女が少しでも母親を慰めようとした気持ちがわかる。元気に暮らしていたよというメッセージなんだろうね。

誰かと楽しく食事をすることが、とても嬉しい思い出となった世界です。
うちの冷蔵庫は空っぽだけど、代わりにお米を減らしていこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?