見出し画像

英会話はただ単に慣れの問題!ネイティヴを目標にするから辛くなる

私は18歳の大学1年生からアメリカにいますが、やっぱりアクセントは完全には消えないですね。多分聞く人が聞けば分かる、日本人のアクセントが残る英語を話しています(笑)

小さい頃から外国に住まないと無理

やっぱりネイティヴ並みの綺麗な発音を身につけるには、
もっと小さい頃から外国に住まないと駄目ですね。

普通の会社員と主婦の親を持つ平凡な6人家族の我が家では無理です。

まあ中には大学や大学院からアメリカに留学して、綺麗な英語を話す人もいるけど、そういう人は、よっぽど英語が好きなんだろうな〜と思って感心して眺めています。

単に私が外国語を学ぶ才能が乏しいだけかもしれませんが(笑)

言葉はコミュニケーションの手段

いやね、言葉はね、コミュニケーションの手段だからね、いくら完璧な英語を話しても、アメリカでは5歳児も普通に完璧な英語を話すからね。

大事なのは中身だからね、言葉なんて通じればいいんだよ、などと負け惜しみを言ってみます(笑)

大事なのは中身

でも「大事なのは中身」とは、本当にそう思います。

この国では、そこら辺のホームレスのおっさんも(当たり前ですが)ネイティヴの英語を話します。

英語の発音はめちゃくちゃで聞き取りにくくても、何か専門分野を持っている(弁護士である、医者である、科学者である)人間は、この国では尊敬されます。他の人が簡単に真似できないからです。

ネイティヴみたいに話すことを目標にしてはダメ

母国語の能力が高いほど、外国語を学ぶのが苦手な人が多い気がする(笑)
英語学習者はネイティヴみたいに話すことを目標にしてはいけない。

英語学習の目的は、コミュニケーションです。
日本語だけを話していたら交流できない人達と交流することが目的です。

そしてその交流相手は、英語を母国語とする人達だけではなく、
他のアジア諸国の人々や中南米の人、
アフリカや中東の方々だって含まれていることを忘れてはいけない。

世界中の人達とコミュニケーションを取る手段

私達が英語を学ぶ理由は、アメリカやイギリスが好きなのではなくて
(中にはそういう人もいるかもしれないが)
世界中の人達とコミュニケーションを取るためなのだ。

良くも悪くも「世界共通語」としての地位を確立してしまった英語を話せると、世界との交流の窓口が大きく広がる。

英語は不公平だが「国際共通語」

私個人としては一国家のイギリスとその植民地(アメリカを含む)の言語である英語が「国際共通語」になってしまったのは正しいことだと思わないし、不公平だと思う。

正直、英語よりかは公平な言語である「エスペラント語」に頑張ってほしい気持ちも拭いきれないが、

19世紀の「日の沈まない帝国」あったイギリスの支配から、
20世紀のアメリカの政治・経済・文化の覇権の下に確立した

英語を国際共通語とする「慣習」に抵抗することは
現実問題として難しい気がする。

英語帝国主義に抵抗するネットワークを築く

特に21世紀に入ってからのインターネットを始めとするITの普及で、
英語を世界共通語とする流れが逆行することは今後ないだろう。

ならば私達のすべきことは、日本語訛りでもいいから英語をマスターして、英語帝国主義に抵抗するネットワークを世界各地で築き上げることだろう。

グローカルという生き方

現在のグローバル化の流れに背を向けて、安易な国粋主義に走ることは、
イスラム過激派のテロに見えるように、大変に危険な考えだ。
(心情的には、共感する部分も多々あるが…)

グローバル化を安易にナショナリズムで反抗するのではなく、
ローカルな動きと結びつけたグローカル (glocal = global + local)な生き方こそ21世紀の我々が歩む道だと信じている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?