見出し画像

ブログやnoteに自分の記事を載せるのは手紙を海に流すのに似てる

note初日で遊んでみようの記事の第四弾です。いや〜noteをめちゃくちゃ楽しんでます。

そもそも私はブログでやりたかったのは、「自分で好きなことを好きなように書いて、でもそれを全く人に見せないとそこで閉じてしまうから、少しだけ他者との交流の窓口を開けておく」ということだったんです。

ブログはブログで、めちゃくちゃ楽しくて、生き甲斐になっていますが、それと同時に、「他者との交流の窓口」をどの程度開けておくかの微調整はしずらいなと思っていたので、noteでは記事の価格という部分で、その窓の開き具合を微調整できるのが楽しい。

それこそ、完全に自己満足で書いた記事で、ほとんどの人には見せたくないけど、もしかしたら100万人に1人ぐらいは共感してくれる人がいるかもしれないみたいな話題は、極論を言ってしまえば、記事の価格を高価にして(noteでは100円から1万円までの価格設定ができる)本当に興味がある人にしか読めないような設定にしてしまえばいい。

例えば、100万人に1人ぐらいにしか読んでほしくない記事を1万円の値段をつけたとしても、私にとっては、お金を稼ぐことが目的じゃない。

100万人に1人ぐらいの割合で共感してもらえる記事をインターネットに掲載する時に私が感じるのは、まだ見ぬ未知の宇宙の彼方に地球外生命体(知的な宇宙人)がいるのを信じて、その人達に宛てて地球からメッセージを送るロマンに似ている。

実際に宇宙人はいないかもしれないし、地球からのメッセージは届かないかもしれないけど、宇宙人がいると信じて想いを馳せるだけで、この大宇宙で地球だけが孤独じゃないような気がして、心強い。

それと同じように、1万円の値段をつけた超ニッチな記事は、誰にも読まれないかもしれないけど、インターネットの大海に漂って存在しているというだけで、ペットボトルに手紙を入れて会ったこともない誰かに届けようとしているのと似ている気がする。

実際に、自分と同じように感じる人間はいなくて、自分の記事も誰にも読まれないとしても、「誰かに読まれるかもしれないし、誰かの心に届くかもしれない」という「可能性」があるだけで、「こんな風に思うのは自分一人だ」という孤独感が癒される気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?