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とりとめもなく、しあわせについて考えてみた

母の日、父の日、誕生日

SNS上には素敵なプレゼント、
しあわせな家族の姿が溢れています。
コメント欄にはおめでとうの文字が飛び交います。


わたし自身もnoteに個人的な話題を毎度投稿しております。
何せ、わたしのnoteのテーマは日常茶飯事ですので。

SNSは人に迷惑を掛けなければ何を投稿しても自由だと思います。
読むのも読まないのも自由。
でも、たまたま読んでしまって不快とまではいかなくても、一抹の寂しさを覚える人がいないとはいえません。


SNSのない時代から、
クリスマスは誰かと二人で過ごすもの。
大勢でワイワイ過ごすもの。
そんな風潮がありました。
そのために俄か恋人をつくったり、
ぼっちクリスマスと知られないように、予定がある振りをしたり。

noteを始めてみて気づいたこと。
それは、健康の有り難さ。
大病を経験された方、現在療養中の方も多くいらっしゃいます。
それでも、日々のしあわせを文章や作品から感じます。

母の日、父の日にプレゼントが届かなくても、元気で暮らしていればそれでいい。
それが親心です。 
それでも、「ありがとう」の一言、ちょっとした気持ちを伝えることは大切なことだと思います。

誕生日に友人からおめでとうのメッセージが届きます。
わたしの誕生日を今年も忘れないでいてくれたこと。
とてもしあわせな気分になります。

あなたのことを覚えているよ。
その気持ちが何よりうれしいです。


娘が2歳の孫を連れて歩いていると、年配の方が近づいてきて、「かわいいね。うちは子どもが結婚してないから孫はいないのよ」といわれることがあるといいます。


父の日に、息子は何を思っていただろう。
離れて暮らす7歳の孫もパパのことを考えていただろう。

ゴールデンウィークに、一人暮らしの息子のマンションに初めて行き、泊まりに来ていた孫と三人で過ごしました。

どこに出かけるのも、二人は手を繋ぎ、孫は常にスキップ。
孫は、大人しい性格ですが、たまに父親と会ううれしさが溢れていました。

わたしは二人の後ろを歩いていて、複雑な心境でした。

子どもを願う人がいて。
子どもがいても一緒に暮らせない人がいて。


何もかも手に入れるのは欲張りすぎ。

ただのないものねだりです。




hohoさん
イラストをお借りしました。
いつもありがとうございます。