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親思う心にまさる親心

とくに何をするわけもないですが、いくつになっても我が子のことは気懸かりなものです。
元気でやってるかな…
困っていることはないかな…

年老いて自立できなくなった親のことも気にはなりますが、母は高齢者施設でお世話になっているので、わたしは楽をさせてもらっています。

子育て中は、当然ながら子どもの保護者でした。
衣食住を整え、
物事の良し悪しを教え、
子どものことで毎日一喜一憂し、思春期になるとぶつかり合うことばかりで、成人するまでは親としての責任を感じていました。

自分自身もそのように育てられました。

もしも、子育てを人任せにしたり、子どもを放置したりしたら…
育児放棄として世間から責められます。

ところが、親の介護は、言葉は悪いですが今は他人に丸投げ。
自分の生活を優先しています。

必要な買い物をし、好物を届けたりはしますが、着飾って外出するわけでもないし、食も細くなっているし、出来ることは限られています。
せめて2日に一度は母の顔を見に行きますが、自分の用事があればそちらが優先です。

今ではわたしが母の保護者です。
大事な決断はすべて任されています。

母はボケているくせに、「もう長く生きたくない。わたしが早く死んだほうが楽になるじゃろ、そしたら自由に生きられるよ」といいます。
たまにそういうことをいうのでドキッとします。

「親思う心にまさる親心」
ということわざがあります。
吉田松陰の歌に由来しています。


寂しいですが、親とはそういうものなんだと思います。

一方、昔読んだこの小説の冒頭の一節も、いまだに強烈に頭に残っています。

  子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。

太宰治『桜桃』より