大家さん
中央線の阿佐ヶ谷に住んでいたことがある。
青梅街道近くの住宅街。
40年ぐらい前の話だ。
大家さんのおばあさんが、一階に住み、女性ばかりが二階の部屋を間借りしていた。
親戚の紹介で当てにしていたところがダメになり、慌てて飛びこんだ不動産屋さんで見つけた下宿。
学生さんも小綺麗なアパート、マンションが当たり前の昨今、
こんな下宿屋さんはもう滅多にないし、あったとしても令和の若者には
敬遠されるに違いない。
大家さんは70代半ばぐらいだっただろうか。
大柄で色白のきれいな顔立ちのおばあさんだった。
腕が丸太ん棒みたいに太くて逞しかった。
当時阿佐ヶ谷には花籠部屋、二子山部屋など相撲部屋がいくつかあった。
浴衣姿で髷を結った弟子たちが、アーケードのパールセンターを闊歩していた。
大家さんは、
元横綱と人気現役力士の母親だった。
10人の子どもを育て、長男と末っ子が相撲界に入ったのである。
月に一度、下に家賃を払いに行くと、
常滑焼の赤い急須で淹れたお茶と
お茶菓子を出してくれた。
一斗缶に入った三越のかりん糖や亀田の梅の香巻がよく出てきた。
お茶を飲みながら、故郷の青森や
北海道時代ことを話してくれた。
訛りがあったので、話の内容は
多分8割程度しか理解できなかった。
場所中は一緒に取り組みを観ることもあった。
孫がわんぱく相撲で活躍しているのよ、と嬉しそうに語っていた。
ときどき、青森の蜜入りりんごや
お煮しめや炊き込みご飯をいただいた。
お煮しめの人参やごぼう、昆布の切り方が豪快で、それなのに圧力鍋で炊いたように芯までやわらかく、味が染みていた。
もともとは、長男が最初に部屋を興したとき、家の二階に新弟子を置いていたらしい。
今はもう、このうちはない。
大家さんの死亡記事は
新聞で読んだ。
お孫さんは二人とも横綱になった。