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忙しくもないのに

大して忙しくもないのに、気がつけば時短、手抜きばかりを考えている。

昔の人は、川に洗濯に行ったり、山に柴刈りに行ったり、かまどでご飯を炊いたり。
その上、子沢山。
保育園や幼稚園はなかった。
介護施設もないから老人の面倒もみていたはず。

尤も、昔の人は短命だった。

今よりずっと粗末な食生活で、充分な医療も受けられず、長くは生きられなかった。

みんながみんなそうだから、粗食でも文句をいう人もいなかった。(たぶん)

人力や牛や馬で田畑を耕し、
大抵のところには歩いて行った。
参勤交代、東海道中膝栗毛、奥の細道も踏破した。
アスリート並みの健脚。

ときにはいくさにも駆り出された。

いつの時代の話ですか。

あまりにも大雑把ですが、
昔の人は忍耐強かったことは確かです。


話を元に戻すと、
現代人はひたすらコスパ、タイパをを追い求める。
便利になったはずなのに、いつもせかせかしている。
常に何かに追い立てられているようだ。
食べることに追われるのは今も昔も同じ。

でもその意味は違う。

豊かになっているのに、食生活が豊かになっている実感はない。
コンビニがあるから便利な世の中なのか。

買い物から後片付けまで、
三度の食事を真面目に作れば手間がかかる。
宅配や便利な調理家電を使えば時短はできる。
いやいや、そんなに手間暇かけなくても、お惣菜を買って来て並べればいいんじゃない?

何にせよ、現金収入が必要だ。
だから朝から晩までせっせと働く。


時短時短で捻出した貴重な時間に、眺めているのはほぼスマホ。
スマホがあれば退屈することはない。

Instagramに毎日料理のリール動画が自動再生される。

なぜだろう。
毎日同じようなのを見てるから毎日流れてくるんだよと教えられた。
なるほど、そんな仕組みになっていたのか。
次から次へと矢継ぎ早に、身近にある似たような食材で、簡単だけど見た目重視のレシピが無尽蔵に出てくる。

動画を作る人がいて、
動画を見る人がいる。
どんどん作るからまた見てしまう。
何かの罠のような気がする。

求めてもいないのに、情報が洪水のように押し寄せる。

世の中は、猛スピードで変化している。
いい方向に向かっているのか、悪い方向に向かっているのかわらないが、
もうこの流れは止められない。

わたしだって今更、川で洗濯、かまどでご飯は真っ平御免です。