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元気はつらつ

月に数回、近所のお気に入りの喫茶店に行く。
近頃流行りのチェーンのカフェは人が多すぎ、距離が近すぎで落ち着かない。

ここは運がよければ貸切。
コーヒーだけのときもあるけど、ケーキセットを頼むことが多い。

この日は伊坂幸太郎を持ち込んで、ケーキはモンブランを選択した。

程なくして、元気なお年寄り3人組がやってきた。
男性1人に女性2人。


声が大きい。
会話が逐一筒抜け。
聞くともなしに聞いていると、お三方のプロフィールまでわかってしまった。
リーダー格の女性はなんと昭和8年生まれ。(推定90歳)
わたしの母より年上だ。
料理愛好家の平野レミさんそっくりの口調。
話題も豊富で、サバサバして、さりげなく相手を褒め、社交上手な感じ。
「家ではコーラ飲まないからさ、ここへ来たらいつもコーラなのよ」
ケーキセットはコーラを注文。

声だけなら60代で通用する。

もうひとりの女性は上品でおっとりした雰囲気。
この方は10歳若い。

そして男性も、80の大台に乗ったばかりだとか。
2人の女性に「大将」と呼ばれている。
「来週同級生と木曽路に行くんだよ」
お元気だなと感心しつつ、よくよく聞いてみると、すき焼き、しゃぶしゃぶレストラン「木曽路」だった。

「大将、どこも悪いとこなくていいね」
と女性陣に言われ、「俺なんか悪いとこだらけだよ」と耳も目も悪くなったとこぼす。
「同級生もどんどんいなくなっちゃってさ」
と少し弱気。


皆さんの共通点は、この土地で生まれ育ち、今も住み続けているというところ。

一番年長の女性は、先代の郵便局長の未亡人だということがわかった。
この郵便局長のお孫さんは、うちの子と同級生だった。
苗字までわかってしまった。

3人とも正真正銘の生え抜きということで、この辺りの地名を挙げて、あそこに飛行機が墜ちたとか、爆弾が落ちたとか。

「人間は無事だったけど、牛と猫がやられちゃったのよ」

「うちの蔵で農協から預かっていたお米は焼けなかったけど、臭くてとても食べられなかったわ」
などなど昔話も尽きない。

農村だったこの地域は、戦時中も、お米には不自由しなかったのか。


今も残る学校の名前を挙げて、あの小学校は分校だったとか、中学校には4キロぐらい、テクテク歩いて通ったっけ、とか。

そういえば、この辺りはかつて、「〇〇のチベット」と呼ばれていたと聞いたことがある。
今では考えられないけれど。

すっかり盗み聞きしてしまった。
皆さん、お子さんやお孫さんに囲まれて元気はつらつ、充実人生を送られているようだ。

初めて聞いたわたしには、どれも新鮮な話ばかりだったが、いつものメンバーでいつもの話が繰り返し語られているのだろう。

わたしの両親は、ひとりっ子のわたしを遠くに嫁がせて、老後はケンカしながらも支え合って暮らしていた。
父の死後、母は娘の都合で有無を言わせず呼び寄せられ、横浜市民にされられた。
母のいる施設にはそんなお年寄りが多いと聞く。

生まれた土地で幼馴染や親族に囲まれて、賑やかに生き生きと人生を全うする人もいる。

母のことを思うと、少し複雑な気持ちになった。

お蔭で伊坂幸太郎はちっとも頁が進まなかった。