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母親への恨み節

友人と一年振りに会った。
施設に入っている母のことをあれこれ訊かれた。
友人はわたしと同じひとりっ子。
実家の近くで暮らしているが、
お母様は90歳で一人暮らし。
一人暮らしも限界なので、そろそろ施設を見学したり、資料を取り寄せたりしているらしい。

その中で、自分の母親はどんな人だったか、という話になった。

友人は中学生のとき、
「わたしがうるさくいうのは、あなたのためじゃないのよ」といわれたことが忘れられないという。

あなたのためじゃないって、どういうこと?

「近所の人に恥ずかしいのよ」
世間体が悪いから、
恥ずかしいから、
つまり自分のため。

ああ、母親ってこういう人なんだ、もうこの人は信じられないな…

この一言が決定打になり、一気に冷めた気持ちになったという。


わたしの母は、とにかく、子どもを褒めるということがなかった。
百点満点のテストを持って帰っても、こんなテスト、みんな100点だったんでしょう?
クラスの平均点ばかりを知りたがった。

幼稚園のときに通っていたオルガン教室の集団レッスンでは、一発合格しないと許されない。
母親たちは教室の後ろに立って参観している。
完璧に弾けるまで何時間もぶっ続けでオルガンを弾かされた。
竹の物差しを手に体罰もあった。

計算問題を間違えると、頭が鈍い、誰に似たのかと詰め寄られ、恐怖で脳内が真っ白になり、余計に間違えた。

中学に上がるとそういうこともなくなったが、テストで悪い点を取ると見せられず、いつも隠していた。

母お手製の洋服を着せられて、お菓子やパン作りも得意。
大人しく、優しそうなお母さんで通っていた。

友人と2人、しばし、母親への恨み節に花が咲いた。

大人になるにつれて、世の中にいろいろな人がいることを知った。
学生時代に危険人物だった人も、普通に結婚して、母親になっている。

自分も子どもを育ててみて、母を反面教師にしたつもりだが、時々、母と同じことを我が子にしてしまい、恐ろしくなったり、涙が止まらなくなったりした。

母親というものは、いつも迷っているものだということがわかった。

母は性格的に多少問題はあったが、やるべきことはきっちりやる人だった。
自分の両親、姑をひとりで看た。

両親を見送り、姑が入院するまで旅行もほとんど出来なかった。

母には尊敬すべきところもたくさんある。

今では母への恨みはほぼ消えている。

程よくボケて、毒が抜けた気がする。