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老婆の定義

はじめまして。
ご挨拶が遅れました。
5回目の投稿です。

徒然なるままに
昭和の思い出や独り言を
綴っております。
老婆の日常茶飯事と申します。


さて、本題に入りましょう。

「老婆」の概念は変わった
時代とともに。。。

松本清張の作品をひもとくと、、、
とは言ったものの
生憎作品名は忘れてしまいました。

が!
作品を読んだときの驚きは
忘れられません。

  五十代の老婆

当時、まさに五十代。
この表現を目の当たりにしたときの
衝撃たるや
雷に打たれて感電死寸前というレベル。

ちょっと大袈裟ですが。

文脈に埋もれるようにサラッと
書かれているだけに、この表現は
当時の社会通念を反映している
ということなのでしょう。

清張作品が大好きで
中学時代から
繰り返し読んできたのですが
若いときにはスルーしてしまったんですね。

作品は昭和四十年代?に
発表されたものでしょう。

あの時代
五十代はもはや老婆だったのか。。。

月1の白髪染が欠かせない自分を
浅ましく感じ、深く恥じ入りました。


明治〜大正生まれのお婆さんは
白髪頭に髷など結って
上品でしたね。
総入れ歯を外せば
ちゃんと梅干し婆だったし、
年齢に抗うことはしなかった。
老婆は老婆らしく振舞っていた。

今のマダムときたら
(自戒も込めて)
白髪染めにウィッグ
カバー力のあるファンデーション
アンチエージングのサプリメント
美魔女読者モデル 等等
若づくりのために
飽くなき執念を燃やす。

そして商機に群がる商売人。

まぁ致し方ないですね。
人間の寿命がのびたんだから。
老婆になるのは
なるべく先送り。

老婆の定義は大きく変わった。

そもそも今では
老婆という表現自体が
差別語扱いらしい。
もちろん老嬢、オールドミスも
NGワード。

それはそれとして
藝術分野に於いては
表現の自由も認めて欲しいなぁ。

戸川昌子の『大いなる幻影』は
一癖も二癖もある老嬢たちが暗躍する物語。
老嬢という言葉抜きには成立しない
何とも雰囲気のある名作です。

講談社 大衆文学館 
文庫コレクション
『大いなる幻影/猟人日記』

興味のある方は是非。